加奈~いもうと~【エロゲー専科】 | 孤独が好きな寂しがりやBlog

加奈~いもうと~【エロゲー専科】

言わずと知れた、キング・オブ・泣きゲー。


エロゲーはエロスありき、と考える人間にとっては、「ポルノより物語重視」を謳う「泣きゲー」の存在は深刻な意味で「敵」であり「異質な存在」である。

その筆頭候補エロゲーがこの「加奈~いもうと~」と言えるだろう。これに匹敵するのはいわゆる「Key」ブランドの「One」「Kanon」「Air」であろうか(「CLANNAD」もあるが、それはエロゲーではない)。
それに引っ張られる形で、ユーザも、(ゲーム性も含めて)エロスよりも物語を重要視するようになり、それに追従するかのごとく、物語重視を謳った「泣きゲー」ないしそれに近いエロゲーの存在は主流となった。

それほどの認知度であり、また「泣きゲー」の言葉を生み出したのが、この「加奈~いもうと~」というエロゲーと言っても過言ではない。

 

 

そもそも、エロゲーとはその名の通り「エロス」と「ゲーム」を組み合わせた造語と言っても良い。事実、98-DosからWindows黎明期のエロゲーには(使えるかどうかはともかく)エロスをある程度露出したのがほとんど―――というか全て―――だった。


泣きゲーの存在が顕著になる前に「痕(きずあと)」というエロゲーが存在したが、「痕」はどちらかというと「結果として」エロスよりも物語展開やヒロインの魅力、マルチシナリオ的要素が評価された。

敢えて(想像も含めて)書くなら、そもそも「痕」のセールスポイント(?)は非現実的な怪奇現象であり、その雰囲気を生かしたシナリオ(マルチシナリオ@ヒロイン@4人の従姉妹)であったろう。それはパッケージの露出具合から見て取れる。

決して当初から『「物語展開」>「ポルノ的要素」』を謳ったわけではない。

物語展開が良質であったがゆえにソフトハウスの意図を超えて「(いい意味で)ゲームの評価が一人歩きしてしまった」と書けば分かりやすい。

(事実、物語展開の良さは販売後に言われているし、同じ怪奇的要素を持った「雫(しずく)」が前作にあるのを見れば分かろう)。


過去に「痕」という例外を除けば、

ナチュラルにエロスを前面に打ち出したエロゲーか、

ヒロインに会いに行く、という感情移入を打ち出した「同級生」、

「七英雄物語」や「シャングリラ」のようなタクティカル・シミュレーションゲームの存在が多く、

「良質の物語を提供する」エロゲーは皆無だった。

(これには少し事情があって、現在と違ってゲーム開発に(労力が必要な)「よりプログラム依存」していた事情もある)

 

 

ところが、この「加奈~いもうと~」や「One」、「Kanon」といった物語性を重要視した(あるいはしてしまった)頃から、自分のように「ポルノ的要素」を重視するユーザには、最初に戸惑いを、後に憤りを与えた。何しろ、周りを見渡せば「物語重視」「物語重視」「物語重視」である。

それが「本当に」良質な物語であったら歓迎に値する。

しかし現実的に見れば、僅かな例外(DiaboLiQuE(であぼりか)など)を除いて、どうしようもない物語が粗製濫造されてしまった。はっきり言えば、「ロクでもないエロゲーを買わされてしまっている」のである。

消費者(エロゲーユーザ)から見たら、これほど腹立だしい現象は無い。


安くも無いお金を注ぎ込んでプレイしたら、その良質な物語内容に、ではなく、その悪質さに何度も泣かされるのである。まさに「泣きゲー」。

 


それが自分の持っている「泣きゲー」の印象だ。
自分に言わせれば、「加奈~いもうと~」に代表される「泣きゲー」こそが「エロスを放擲したエロゲーの粗製濫造」を大量発生させた諸悪の根源なのである。
そんな印象を持たされたエロゲーユーザが、諸悪の根源に手を出すであろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 


スマン、買ってしまった(;´д`)ノ

 

 


さすがに時期が時期なんで中古でしたが。
しかしまぁ、そういう事情があるために、「何で泣きゲー『ごとき』をプレイせにゃならんねん」という潜在的な拒否感があったわけなんですよ。

去年の夏ごろでしたか、エロゲーと勘違いして「CLANNAD」を買ったのが運の尽き。所謂「泣きゲー」に手を出すハメになりまして、評価の高いエロゲーで言うなら、「CLANNAD」→「Air」→「Kanon」→「加奈~いもうと~」と時代を下ってしまったワケです、ハイ。

いずれKeyブランド発祥といえる「One」をプレイする可能性はありますが、「Kanon」がクソつまんなかったのでやる可能性は劇低でしょうけど、それは置いといて。


よく言われる事なんですけど、眼前に「死」を突きつけられた時、ぶっちゃけて言うと「あんた死病だから死ぬよ」と言われた(あるいは本人が気づいた)場合、目前に迫った死について考えてしまう為か「哲学的」になるそうです。たまに暴れたり好き勝手し放題する人もいるようですが、まぁ詰まるところ本人の資質なんでしょうけど。

それはともかく、哲学的になるためか本も読むし、読んだ事を自分なりに整理して書きとめたり、ですね。

特に世間の垢を知らない少年少女がそうなってしまった場合、本当に「美しい」そうです(当然、外見的な意味ではない)


前にも記事で書いたかもしれませんが、そういう少年(死ぬと本人も分かっている)のお話で印象的なお話があります。

新聞の記事で「命は地球よりも重い」という文面があったんですが、その文面を見て曰く、


「命はそんなに重いものではない」


未だ死を知らず、それを突きつけられた事の無い自分には、その真意は分かりません。

しかし、何故、少年がそのような考えに至ったかを時々考え込んでしまいます。

 

おそらく、この「加奈~いもうと~」のシナリオライターもそういった「死とは?」ないし「命とは? 生きているとは?」という事を真摯に考えた事があるのでしょう。だからこそ、「加奈が死ぬのが前提」という禁忌に近いテーマにして物語を紡いだのではないか、と自分は想像しています(事実かどうかは知りませんが)

 

ちなみに、ゆるゆると死に向かう人(病人)が身近にいると、本人が、ではなく回りの人(特に近親者)は結構キツいそうです(本人にもつらいものがあるでしょうが…)。

当然のごとく気を配ったりとか、お見舞いに行く頻度や交わす言葉(厳密には「交わしてはいけない言葉」)などで「精神(こころ)をやすりにかける」かのごとく、と聞いたことがあります。

自分も、そういった病人(不治の病を持っているのではなかったのですが…)をかつて1人知っていましたので、そういう事情は少し理解できるような気がします。

 

 

まず、「加奈~いもうと~」ですが、ゲームとして考えた場合は少し拙い点がありますね。もう昔のゲームですから仕方ない事なのかもしれませんが、音楽の切替でゲームプレイが止まってしまうのが少し痛い(CD-DAなので仕様なのですが)。

自分がプレイしたのはWin95/98版なので、リニューアルされた(らしい)ゲームではそんな事は無いのかもしれません。せっかく良質の物語ですので、まだ未プレイの方は、サクサクプレイが可能なリニューアル版の方がいいかと思います(詳しい事はまるで知りませんので念のため。最近の風潮ではロードの無いWAVEファイルなどを使ってる)


その他ではたいした粗はありません。ちょっと難点を言うなら、時たま感じた事なんですが、加奈の顔(CG)がちょっとアレ…だった事でしょうか。イベントCGなどを見て「え゛…」と思った事が(特にタイトル画面がゲフンゲフン)。こう書いてしまっては失礼なのですが、原画描き・CGグラフィッカーが未熟なら未熟なりに、時間が足りないなら足りないなりに、もう少しどうにかできたような気がしますが…開発期間の問題だったのでしょうか?

 

そういったちょっとした点で多少の難がありましたが、良質の物語だったからこそ「粗が目立たなかった」のはあると思います。

個人的には最重要機密事項の必要悪にしてコレが無かったら迸る熱いマグマこと白(Pi~)はドコに向けて放出すればいいんだ仕方ないからDDRで汗流して忘れるか的なえっちCGは完全無欠に使えませんし。

もっとも、「加奈~いもうと~」の場合は、使える・使えないというよりも、明かりを付いていない夜の暗がりの中でえっちしている、という雰囲気を重視してCGは描かれています。こういう物語展開というか濡れ場を「演出する」という意味での「えっちシーン(CG)」も、まぁアリと言えばアリなんでしょうけどね。


こういう「(えっちしている)雰囲気」を演出したえっちシーンと、少し異なったえっちシーンが「DiaboLiQuE」にあります。

「加奈~いもうと~」の場合は『(密やかな秘め事というイメージを与える)雰囲気』をCGで演出していますが、

「DiaboLiQuE」の場合は『(レイプや娼婦というイメージを与える)状況』をCGで演出しています。

たかだかえっちシーンですが、こういう細かい演出方法を考え付くシナリオライターはそんなにいませんね。まぁ細かい演出方法を考えつくからこそ良質の物語を書けるのかもしれませんが。

(ちなみに「DiaboLiQuE」のシナリオライターは『コレで使えたらマヂすげぇ』と発言している。それはどうよ)

 

 

で。

肝心要の物語れびゅ…に入る前に。


今までは便宜上「良質の物語」と書きましたが、自分が感じたのは「重厚な物語」という印象です。加奈と共に生活(主に闘病生活)する主人公の生き様、という物語のシナリオをきっちり作りこんでいる、と思ったからそう感じたのでしょうか。

小学・中学・高校と個々のプロットを作成し、そして連結させる構成力、それを表現した文章能力。

それぞれ一流と言っていいでしょう。よほどの作家性が無い限りは、筆の赴くまま書いてもこうは上手くいかないでしょうから(無論、プロットなどをあらかじめ構成した上で「登場人物が勝手に動く」という現象もありますけどね)


良質の物語と評価されているエロゲーに「君が望む永遠」や「CLANNAD」・「Air」がありますが、それらとは異なった意味でシナリオライターの能力の高さが窺えます。

「君が望む永遠」や「CLANNAD」・「Air」はそれぞれ作家性と言いますか、文章能力や展開に上手さを感じましたが、

「加奈~いもうと~」では先ほども書いた通り『シナリオの構築力』に上手さを感じました。

前者は「筆が進む」という作家性という一種の天才的資質が必要になりますが、

後者は「何が大事な事なのか」というポイントを抑えていく秀才的資質が必要、と書けば分かりやすいでしょうか。

両者ともシナリオライターとしては優秀な事に変わりは無いけれども、志向するベクトルの違いが窺えました。

(ちなみに―――

 秀才=無能、という風潮がありますが、

 それは学歴云々から来る偏見のイメージを受けている、

 と自分は感じています。

 それは明らかに間違いで、秀才的資質というのは、

 よりスタンダードな手段、

 簡単に書くと容易に勝算を上げられる算段を構築できる人

 という意味を自分は持っています。

 その点、誤解があるかもしれませんので、念のため付記しておきます)

 

 

で、物語れびゅ。


小学・中学と歩みを進めていく過程で、主人公が加奈を「妹として」認識し、(病弱だから)保護欲をかきたてていく「愛しさ」をゆるゆると表現しています。利害も打算もない正義感溢れる(?)小学時代、兄として妹を護らなければならない中学時代(主人公は高校生)。

内容的には大した事は無いのですが、小学・中学と状況説明しつつ「ユーザと主人公の一体感」を演出していく手段はまさに「巧みの技」という感じですね。冗長性を極力排除した短いながら複数のイベント、全体としてたるみが出ない順序や全体の長さなど、文章能力ではなく、構成力を駆使したシナリオライター能力はまさに非凡です。


メインシナリオと言えるのが高校生(主人公は大学生に至る)。

突き詰めて言うと「加奈が死を迎える様」こそ全て、と言っても過言ではないでしょう。厳粛なまでの死―――そこまでに至る最も重要な過程がここで描かれています。


加奈は自分が死病に冒されている事実を受け入れ、

主人公は「加奈のために」生きる事を理性、ではなく感情によって誓い、

(加奈と主人公の)両親は(加奈が養子という事もあって)「主人公>加奈」にウェイトを置く様。

 

人間ドラマ、と言えばその通りなのですが、人間が本能的に恐れる「死」をテーマに置いている為か、何気に「痛く」感じちゃいますね。

加奈は一時「死にたくない」と感情を吐露してしまいますし、

主人公は加奈に死んで欲しくない、けど加奈の生涯をより良いものにしよう、と心情ない交ぜ状態で大学を放擲状態しますし、

両親は加奈に死んで欲しくないけど主人公が「自分の人生を蔑ろにしている」のを気に病んでいますし。

主人公一家が「誰もが幸せ状態ではない」のに、主人公好きの一念で主人公と交際している「夕美」という女性だけが幸せ状態、というアンバランスさ(?)が痛さに拍車をかけているのかもしれません。

それを狙って演出しているのでしょうが…なんつーか…「底意地の悪い人間がいい物語を描ける」というのも判るような気がしますね( ̄∀ ̄A``


加奈が一時的に錯乱したのを除けば、加奈が根源的な死について考え、主人公が(いずれ終焉を迎える)加奈の生涯にいい思い出を作ろうと努力している様は綺麗ですね。

プレイヤーと主人公の一体感を実現したが故に表現できた、「幸せな今が続けばいいのに」という『想い』。ゲームという虚像の中にリアリティを感じる事ができました(これが多分「泣かせる」要因となっている)。


特に、秋風漂う海岸での思い出作りはいいですね。海水浴に興じる人がいないがゆえに、誰もいない海岸線。

空と海の広大さ、主人公と加奈しかいない舞台、いずれ冬を迎える季節。

そんな中、主人公に背負われて海岸線を疾る(はしる)加奈―――。

ここまでゲームのテーマ―――加奈と共に生きた人生のアルバム―――に相応しい「演出」は無いでしょう。

 

 

そうやって主人公は加奈と共に生涯のひと時を過ごしていきましたが、ついに訪れた瞬間(とき)―――
主人公よりも一足どころか何百足も早く、病院の一室で安らかに死出の旅路に出た加奈。


自分の心の中(うち)に存在する、加奈の最期の言葉。

「ありがとう」「さようなら」「ごめん」、あるいは他の言葉か。

加奈に限らず、死を根源的に見つめた人の投げかける言葉は一体何なんでしょうね。

 


あ、書くの忘れてた。

一応、このゲームもマルチエンディングに分類されますので、加奈が亡くなるエンディングしかない、という事はありません。ベストエンドと称して、加奈の病気が治る展開もあります。まぁそうでないと救われない、と言いますか、ゲームのメリットですからね、複数のエンディングを用意できるのが。

 


個人的な感想になるのですが、自分的には加奈が亡くなるエンディングが所謂トゥルーエンドですね。そういった意味では、加奈が生き延びるベストエンドというのは、あくまでベストであってトゥルーではなく、「こういうエンディングもあるよ」的な存在です。

リアル世界だったら話は別ですが、加奈という少女が「死を迎えて」こそ活きる物語展開と思っていますから。

こんな事書くと「お前実は加奈の事嫌いだろ」なんて突っ込みを喰らうかもしれませんが…


エンディングを全て見て思ったのですが、エンディングは6つも必要だったのかどうか疑問です。

加奈が生き延びるベストエンドは1つしかありませんが、

究極的に言うと、加奈が亡くなる5つのエンディングは1つに集約できたような気がします。

 

加奈逝去

→主人公発狂(夕美エンド)

→加奈の手記(知的エンド)

→加奈の録音メッセージ(ノーマルエンド)

 

これは自分の推測ですが、

シナリオライターが、ゲームとしてエンディングが少し長くなってしまうのを忌避したからエンディングを複数に分けたのかな、と思っています。

ゲームの主眼を「加奈の生涯の終焉」から「主人公の生涯の(一部の)軌跡」と置き換えたら、こういう展開もあり得る、と自分が思っているのもあるでしょうけどね。


ちなみに、加奈が生き延びるエンディングを見て思ったこと。
シナリオライター的には、加奈が生き延びるエンディングは「ゲームだから必要」と割り切ったのではないでしょうか。エンディングを
見る限りでは、生涯を共に生きる伴侶となるかどうかは「プレイヤーにお任せします」という内容ですからね。

…まぁシナリオライターが本当に腹黒い人間だったら確かにそーゆー展開にもしかねないですが(^^;


そういう「邪推」もあって、ゲームのエンディングは自分的エンディングに非ず、というのが自分的「加奈エンド」だったりします(当然、トゥルーエンドでもベストエンドでもない、特別な(?)エンディング、の意味です)

 

 

あ、そうそう。

エンディングの一つに、先ほど書いた加奈の手記を読む場面があります。

いや~。

おいらココでようやく「泣きゲーの泣きゲーたるを実感」しました。

公称平成生まれの16歳、実年齢下一桁切捨以下省略のヲタ系九州男児が…ってああん(可愛らしく)。悔しいので直接表現では書きません。お願いですから御想像しないでください。

 


総合的に考えれば、物語展開の良さに加えて、序盤にプレイヤーと主人公に一体感を感じさせた事から、まさに「一と言って二と下らない」良質の物語ですね。そういった意味では、まさに「(いい意味での)泣きゲー」と言えるでしょう。

「加奈~いもうと~」をプレイせずば人生の楽しみの8割どころか100割を失う、と言ってもいいくらいです。某サイトで「自宅を質に入れてでもプレイしろ」と書いているのは決して誇張ではありません。

 


ただ、一つ看過できないというか、書きたいことが。

開発期間の問題か、シナリオライターが面倒くさがったのか、実はナチュラルな展開だったのか、あるいは別の意図かどうかは不分明ですが、加奈に惚れてた勇太クンの存在。

邪推してしまえば、「シナリオライター的」には加奈の伴侶は主人公ではなく、勇太ではないのか、という疑問があるんですね。

シナリオ構成での「役割分担」というものを考えると、(印象が薄くなってしまっている)勇太の存在がクローズアップされます。

正確に書くなら、
加奈を「兄」として護るのが主人公の役割りであり、

加奈の「伴侶」として生きるのが勇太の役割りである、

という構図ですね(ゲーム展開上、そういう点がいくつかみられる)。


そうでないと、勇太という存在の意図がわからないんですよ。

シナリオの重厚な作り込みに反して、勇太の扱い「のみ」がぞんざいなために、そう感じたのかもしれません。

これに関しては、本当に自分の邪推なのですが…

 

 

で、その他。


音楽。

CD-DAで待ち時間が生じてしまうためにその良さが分からず。


えっちシーン。

無理(;´д`)ノシ


システム。

普通。

 

 


最期に。


これを読んでいる方で「加奈~いもうと~」をプレイした事が無い、と言う方。

他人様が自分に仰った言葉をそのまま伝えましょう。


「やれば分かる」


まさに、その言葉通りです。

是非、「加奈~いもうと~」をプレイする事をお勧めします。

エロゲー売り場に行くのが面倒くさいと言う無かれ。その気持ちはわかりますが、それを乗り越えただけの感動を味わえます。