日本人が全員オタクなのである
何を言いたいんだお前は。その2・その3
秋葉原は確かにマニアの聖地だ。それは事実で否定しないが、オタクがどうとかという話と関係ないじゃないか。
羽柴秀吉が近江長浜に城下町を作ったとき、専門職人を一箇所に集めて町(というかブロック)を作ったのがいわゆる「聖地」の興りだ。何故そのようにしたのかというと、専門職を持った人間が切磋琢磨して技術力を高めるだろう、という目論見があってそうした。江戸でも鍛冶屋町とか今でも地名が残っているのはその名残だ。その亜種が繁華街として戦後出てきた歌舞伎町で、電子系でのし上がってきたのが秋葉原だ。別に秋葉原だけが「聖地」と言われるマニアな世界ではない。
何故、そんな「聖地」が今まで延々と続いているのかというと、日本には平和な時代が多かった事と、定価販売という経済システムが確立されていた事と、日本人に趣味を認める土壌があったからこそ、より良いものを求めて今で言う「オタク」が出てきただけの話だ。
「ネオテニー」がどうとか小難しい言葉を使って頭をこんがらかすな。
そもそも、オタクになった日本人がいるわけではない。元から「オタクたる素質」を持っているのが日本人だ。
それが顕著なのが「ブランド志向」だろう。
シャネルやグッチなどを買いに漁る女性の皆々様。
メーカーブランドにこだわって家電製品を買う一般人。
米は雪に埋もれたあそこがいい、酒はどこぞこに限る…。
突き詰めて言えば、そういう志向を持った人はオタクであろう。ただ、一般的というか、世間から見ても「恥ずかしくない」「おぞましくない」が故に世間から非難される事はない。
ただ、秋葉原が「美少女系」にハシリ、それを世間が「恥ずかしい」「おぞましい」と思うからこそ、時として偏見の目で見られる違いが生まれる。
ちょっと前にフィギュア萌えがどうとかで馬鹿さらした評論家がいたが、そういう連中は最近秋葉原でのさばってきた「美少女系」が生理的に受け付けないがために起きた現象だ。
小寺信良氏は「日本人はなぜオタクとなり得たか」と題して記事を書いたようだが、小寺氏はオタクは何者であるか、を知って日本人とはどういうものであるか、というものを知らないようだ。
だからこそ、「オタク」≠「一般人」と誤解したがゆえ、いろいろと小難しい言葉をこねくりまわしてオタクを定義しようとしたのだろう。
自分に言わせれば無駄な行為としか言いようが無い。
日本人はよりよいものを求める。それがゆえに日本人は全員オタクなのである。
自分はそう結論付けている。
江戸時代に、お茶を飲んで「水」と「茶葉」の原産を言い当てる、という遊びがあった。
最近でもお酒でどこの酒かを当てるゲーム(?)があるが、それのお茶版だ。
これが一部で好評だったようで、水はどこどこ、お茶はどこどこ…と言い当てる事ができた、と物の本にある。
また、江戸時代には、流通が盛んで、全国各地の物産があちこちから集められた。いいものを高く売ろう、という商売の本質から出てきたものだ。
美味い料理を作るために備長炭が「発明」されたのも、清酒が「発明」されたのも江戸時代だ。当然、これらは大消費地たる江戸に運ばれ、江戸の文化を形成した。
こういう日本人の気質は概ね江戸時代に出来たものだ。これは江戸時代が平和だった事に由来する。
小寺氏も、オタクうんぬんといったカテゴリではなく、もっと広い視野にたって記事を書いてもらいたい。
オタクという殻にこだわっていると、視野狭窄に陥ってしまうだろうから。
秋葉原は確かにマニアの聖地だ。それは事実で否定しないが、オタクがどうとかという話と関係ないじゃないか。
羽柴秀吉が近江長浜に城下町を作ったとき、専門職人を一箇所に集めて町(というかブロック)を作ったのがいわゆる「聖地」の興りだ。何故そのようにしたのかというと、専門職を持った人間が切磋琢磨して技術力を高めるだろう、という目論見があってそうした。江戸でも鍛冶屋町とか今でも地名が残っているのはその名残だ。その亜種が繁華街として戦後出てきた歌舞伎町で、電子系でのし上がってきたのが秋葉原だ。別に秋葉原だけが「聖地」と言われるマニアな世界ではない。
何故、そんな「聖地」が今まで延々と続いているのかというと、日本には平和な時代が多かった事と、定価販売という経済システムが確立されていた事と、日本人に趣味を認める土壌があったからこそ、より良いものを求めて今で言う「オタク」が出てきただけの話だ。
「ネオテニー」がどうとか小難しい言葉を使って頭をこんがらかすな。
そもそも、オタクになった日本人がいるわけではない。元から「オタクたる素質」を持っているのが日本人だ。
それが顕著なのが「ブランド志向」だろう。
シャネルやグッチなどを買いに漁る女性の皆々様。
メーカーブランドにこだわって家電製品を買う一般人。
米は雪に埋もれたあそこがいい、酒はどこぞこに限る…。
突き詰めて言えば、そういう志向を持った人はオタクであろう。ただ、一般的というか、世間から見ても「恥ずかしくない」「おぞましくない」が故に世間から非難される事はない。
ただ、秋葉原が「美少女系」にハシリ、それを世間が「恥ずかしい」「おぞましい」と思うからこそ、時として偏見の目で見られる違いが生まれる。
ちょっと前にフィギュア萌えがどうとかで馬鹿さらした評論家がいたが、そういう連中は最近秋葉原でのさばってきた「美少女系」が生理的に受け付けないがために起きた現象だ。
小寺信良氏は「日本人はなぜオタクとなり得たか」と題して記事を書いたようだが、小寺氏はオタクは何者であるか、を知って日本人とはどういうものであるか、というものを知らないようだ。
だからこそ、「オタク」≠「一般人」と誤解したがゆえ、いろいろと小難しい言葉をこねくりまわしてオタクを定義しようとしたのだろう。
自分に言わせれば無駄な行為としか言いようが無い。
日本人はよりよいものを求める。それがゆえに日本人は全員オタクなのである。
自分はそう結論付けている。
江戸時代に、お茶を飲んで「水」と「茶葉」の原産を言い当てる、という遊びがあった。
最近でもお酒でどこの酒かを当てるゲーム(?)があるが、それのお茶版だ。
これが一部で好評だったようで、水はどこどこ、お茶はどこどこ…と言い当てる事ができた、と物の本にある。
また、江戸時代には、流通が盛んで、全国各地の物産があちこちから集められた。いいものを高く売ろう、という商売の本質から出てきたものだ。
美味い料理を作るために備長炭が「発明」されたのも、清酒が「発明」されたのも江戸時代だ。当然、これらは大消費地たる江戸に運ばれ、江戸の文化を形成した。
こういう日本人の気質は概ね江戸時代に出来たものだ。これは江戸時代が平和だった事に由来する。
小寺氏も、オタクうんぬんといったカテゴリではなく、もっと広い視野にたって記事を書いてもらいたい。
オタクという殻にこだわっていると、視野狭窄に陥ってしまうだろうから。