民主主義のルール
元ネタは霞が関は米の鉄面皮に学べ@週刊!木村剛様
>財政再建が至上命題なのは分かっているのに、
>「おれの次に無駄遣いしているヤツが倹約していないのだから、
>予算削減には意味がない」と開き直る。
>「わが省に影響を及ぼすいかなる予算削減案も拒否する」
>と言い張って憚らない。
役人から見たら当然である。
建前で言うなら、立場的には政治家(≠野党議員)>役人である。政治家が掛け声を上げない限り、役人が動くはずが無い。
木村氏はその点を履き違えている。
アメリカがかぶっている鉄面皮は経済という明確な目的があるからノーと言うのに対し、
役人(霞ヶ関)は目的が明確で無いからノーと突きつけるのである。
また、厳密に言うなら、
国内世論>政治家>役人
という力関係になっている。民主主義(国民主権)の前提だ。
つまり、国内世論(国民)が財政再建を求めない限り政治家も動かないし、政治家が動かないから役人は動かないのは当然の帰結である。
民主主義は悪政であったとしても、それを最終的に負うのは政治家でも役人でもない。我々国民なのだ。その事を知らぬ限り、健全な民主主義は育つはずが無い。
>この米国に倣って、各省庁に、
>他省庁の予算を批判させながら、
>独自の予算削減案を策定させてみてはどうか。
これは暴論の一言に尽きる。
財政再建が急務であるのは自分も積極的に肯定するが、現在、国民がその事を理解していない。
これは商業主義・(真実のみを伝えず、必要な提起を行っていないと言う意味で)偏向報道を旨としている日本マスコミ各社に罪が着せられるものだが。
また、他省庁の都合も知らずに勝手に予算削減されたら、業務上不都合が起きるのが目に見えている。
そういった意味では、大日本帝国憲法・日本国憲法が作成していた頃のように、
マスコミ各社が予算削減案を紙面で提供するのが正道でもあり、順序でもあろう。
財政再建と一口に言うが、政治スタンスにおいて大きく再建方法が異なる。
大きな政府・小さな政府、または
中央集権型・地方分権型、といったどちらのベクトルに向かっているのか、という一事だけでも再建方法は大きく異なる。
どのベクトルに向かって、あるいは目的はこうだ、という世論が無い限り、財政再建もままならない。
少なくとも、財政再建は急務である事は間違いない。
しかし、我々国民が「どのような政治(財政再建)を求めているのか」という声が上がらない限り、役所としても「役所が勝手に」財政再建を行えない。明らかに越権行為になるからだ。
そのことを木村氏は理解しているのだろうか?
日本と言う国は民主主義であり、国民に主権があり、その政治の結果は国民に帰せられる。
国民主権と言う名の権利、そして裏面にある「結果責任」。
日本では、それに敢えて目をつぶって天下国家を語っているように見受けられる。
>財政再建が至上命題なのは分かっているのに、
>「おれの次に無駄遣いしているヤツが倹約していないのだから、
>予算削減には意味がない」と開き直る。
>「わが省に影響を及ぼすいかなる予算削減案も拒否する」
>と言い張って憚らない。
役人から見たら当然である。
建前で言うなら、立場的には政治家(≠野党議員)>役人である。政治家が掛け声を上げない限り、役人が動くはずが無い。
木村氏はその点を履き違えている。
アメリカがかぶっている鉄面皮は経済という明確な目的があるからノーと言うのに対し、
役人(霞ヶ関)は目的が明確で無いからノーと突きつけるのである。
また、厳密に言うなら、
国内世論>政治家>役人
という力関係になっている。民主主義(国民主権)の前提だ。
つまり、国内世論(国民)が財政再建を求めない限り政治家も動かないし、政治家が動かないから役人は動かないのは当然の帰結である。
民主主義は悪政であったとしても、それを最終的に負うのは政治家でも役人でもない。我々国民なのだ。その事を知らぬ限り、健全な民主主義は育つはずが無い。
>この米国に倣って、各省庁に、
>他省庁の予算を批判させながら、
>独自の予算削減案を策定させてみてはどうか。
これは暴論の一言に尽きる。
財政再建が急務であるのは自分も積極的に肯定するが、現在、国民がその事を理解していない。
これは商業主義・(真実のみを伝えず、必要な提起を行っていないと言う意味で)偏向報道を旨としている日本マスコミ各社に罪が着せられるものだが。
また、他省庁の都合も知らずに勝手に予算削減されたら、業務上不都合が起きるのが目に見えている。
そういった意味では、大日本帝国憲法・日本国憲法が作成していた頃のように、
マスコミ各社が予算削減案を紙面で提供するのが正道でもあり、順序でもあろう。
財政再建と一口に言うが、政治スタンスにおいて大きく再建方法が異なる。
大きな政府・小さな政府、または
中央集権型・地方分権型、といったどちらのベクトルに向かっているのか、という一事だけでも再建方法は大きく異なる。
どのベクトルに向かって、あるいは目的はこうだ、という世論が無い限り、財政再建もままならない。
少なくとも、財政再建は急務である事は間違いない。
しかし、我々国民が「どのような政治(財政再建)を求めているのか」という声が上がらない限り、役所としても「役所が勝手に」財政再建を行えない。明らかに越権行為になるからだ。
そのことを木村氏は理解しているのだろうか?
日本と言う国は民主主義であり、国民に主権があり、その政治の結果は国民に帰せられる。
国民主権と言う名の権利、そして裏面にある「結果責任」。
日本では、それに敢えて目をつぶって天下国家を語っているように見受けられる。