国民総背番号制@おいら実は賛成派 | 孤独が好きな寂しがりやBlog

国民総背番号制@おいら実は賛成派

元ネタは[ゴーログ]国民総背番号制にあなたは賛成ですか?@週刊!木村剛様

自分が国民総背番号制に賛成なのは、時代がそれを求めているから。
いわゆるIT(infomation technology:情報技術)が発達した昨今、手間やコスト削減を踏まえて考えるなら、DB化して業務を簡素化するのが「時代の流れ」だからだ。いかに市民サービスを上手く提供できるのか、という点を考えれば、当然の話でもあるし。
プライバシーの侵害うんぬんというのは運用論に属し、あくまで枝葉末節の話でしかない。

実際、役所に行けばわかるが、すでに水道支払いなどの事務業務はコンピュータで処理されている。
昔懐かしのDOSベース(10年くらい昔のシステムみたいなん)のプログラム@Windowsを見ると「そこまで古物利用するのかよ」と流れる涙を禁じ得ないけれども、よく考えたらWindowsプログラムがメジャーになる前から「実は電子処理してました」という証明でもある。
うちら市民にゃぁ文書を強制しつつお前ら楽しとったんかい、という突っ込みは存在しうるが、そこはそれ、今では笑って済ませられる問題だし。


無論、国民総背番号制というのはDB登録化されるのが前提なので、プライバシーの問題、正確には情報漏れを最大限防ぐ必要がある。いわゆるセキュリティの問題だ。
例えば、CD/DVDに焼かせない、プリントアウト時のルール、ハッキング・クラッキング防止などなど。大規模インフラとなるが、この手のものは(ある意味で)採算度外視で考えるべきだろう。
専門用語になるが、VPN程度では防げるものではない。完全無欠にローカルネットワーク、すなわち、インターネットの世界とは隔離されたネットワークにするのが最良であろう。(ぶっちゃけていうと、役所からインターネットの世界に入れない、外からも役所のネットワーク世界に入れない状態にする)

そんな小難しい技術論はさておいて。


>ただし、その代わり、各種の納税事務や年金・保険の手続きは
>個人が片手間でできるような極めて簡単なものにしていただきたい、とも思います。
>これは、些細なことのようでじつは極めて重要なことなんですね。
>というのは、日本という国は、国が為すべき繁雑な事務を
>個人や企業に押し付けている部分が極めて多いからなのです。
>また、そういう風に簡素化しておかないと、納税制度を給与天引きではなく、
>申告制にするという改革も絵空事になってしまいますので・・・。

木村氏の言いたい事は分からないではない。
しかし、日本の税金制度は源泉徴収を行っており、申告制ではない。もともと、日本の民族性として、殿様をありたがる風潮がある。言い換えれば「自助能力」に薄いと言えようか。外圧に弱い、と書けば分かりやすいかもしれない。
それを考えれば、その制度に慣れてしまった国民を「再教育」するのは容易ではない。

自分としては、「個人が片手間にできるよう」に簡素化させるのは反対だ。
片手間に出来る、というのは裏返せば「頭を使わずに・あまり考えずに」出来る、という事だ。それでは「行政サービスを学ぶ・知る」という観点から見ると意味が無い。国民の視線を政治(行政)に向けさせるには、ある程度の手間と時間、すなわち「学ぶ・知る」機会を作る必要がある。短時間で学べる技術・知識というのは存在しないのだから。


民主主義の歴史を紐解いてみよう。
一定の時間を経て政治が成熟してくると、国民が政治に視線を向けなくなる。それが如実に出てくるのが投票率だ。

数年前の(陳水扁氏が初当選した)台湾の選挙を覚えておられるだろうか。民主主義の成立初期というのは、選挙に国民の膨大な政治的エネルギーがつぎ込まれる。熱狂という言葉が相応しいくらいに。

ところが、政治的に成熟してくると、投票率が落ちてくる。これに例外は無い。
海外(主に欧米など)を見ても一目瞭然だ。
投票率が90%を超える国は、民主主義が成立したての国以外では存在していない。

政治的に(特に経済的に)安定している国では、生活が安定してしまっているため、政治よりも国民自身の生活に視線が向けられるからだ。
当然ではある。
政治的に抑圧されておらず、経済的(衣・食・住)に問題が起きない限り、現状維持を望むのが「人間」の本能であるのは歴史が証明している。
政治的・経済的に抑圧されて噴出したのがヴァスティーユ監獄襲撃によって始まったフランス革命で、
政治的・経済的に不満の無い時代が今の「先進諸国」の安定した政治情勢(国内情勢)であろう。


ちなみに、日本は民主主義の興りについて例外といえる。
●段階的に選挙制度が変わってきた事
 (殿様の言う事を受け入れる民族性も含める)
●政治的に「抑圧されていなかった事」
●ムラ社会という地域共同体(日本教と言われる物を含む)が存在していたためだ。
そういった意味では、日本でいう民主主義と世界の共通認識の民主主義とはルールが違う。
というより、「日本の常識」=「世界の非常識」という垣根が大き過ぎる事情がある。
(国連の存在意義を考えればそれが如実に出ている)


で、話を戻すと、
自分としては、行政サービスの最適化(?)のために国民総背番号制には賛成する。
これは(世界的に見て珍しい)出生から死亡まで一元化している戸籍情報、納税義務その他を一元管理するために必要な「手段(ツール)」だからだ。
せっかくのinfomation technologyを有効活用しない手は無いだろう。

しかし、行政サービスを全て簡素化させる必要は無い。
戸籍上法に関する事、納税に関する事は、それぞれ個別に「国民に処理をやらせて」おいて、
そのウラでは「行政サービスの一環として一元管理してますよ@ちょっと無駄なことやらせておいてごめん」という具合でいい。


こんなところでしょうか。



ちなみに、おいらが懸念してるのは「田中康夫長野県知事@信州知事(笑)は『日本のスウェーデンをめざす』」という発言。
実は始めて知ったんだけど、それは国民に収入の70%以上を負担しろ、と言っているようなもの。それで良く知事選挙に通ったな、と涙を禁じ得ない瞬間でもありました。
ま、正道とゆーか社会主義から脱却したとゆーべきか。
(信州知事の田中康夫 - 長野県ホームページ)

っつーか信州知事って自分で言っておいて恥ずかしくね?