何故エロゲー業界を目指しているか
自分がエロゲー業界を目指している理由。
別にむっはー( * ̄∇ ̄)=3したいから、という理由ではないのは最初に書いておく。
長文なので覚悟めされい。
一応断っておくが「自分の趣味」が主たる理由ではない。
いわゆる「主・従」という言い方をするが、そういう意味では、エロゲー業界を目指している理由で「エロゲーが趣味だから」というのは「従」にあたる。
決して、「主たる理由」に「エロゲーが趣味だから」でエロゲー業界に入ろうとしているのではない。
エロゲー業界とは、どのような業界であるか―――
エロゲー業界はオタク産業でもあるが、厳密に言えばポルノ産業でもある。
この2つの点が重なっているところに着目すべき点がある。
まず、オタク産業について。
以前にも記事で書いたが、日本人は気質としてオタク傾向にある。オタクというのは可能な限り趣味にお金を費やす「存在」だ。そのオタクの「財布の紐を緩める」ものに、「萌え」や「キーワード」という言葉―――簡単に言うとフェチズム―――がある。
他者から見たら「それはどうよ」と言われても「オレが好きだから『仕方なく』買うんだよ!」といった具合だ。
「姉・妹(義理を含む)」「眼鏡」「ペドフィリア(幼女趣味)」「制服」「巨乳・貧乳」「陵辱」「痴漢」「近親相姦」「ノーマル」「SM」、ざっとあげてみただけでもこれだけある。(例外として「ソフトハウス・ブランド・クリエイター・声優の知名度」もある)
その「どれか」に引っかかっただけで、オタクの心は揺れる。後はオタク自身の余裕―――金銭的やタイミング―――が後押しするだけで「消費者」の一丁上がりだ(新品・中古を問わず、質が良ければいわゆる「信者」になる)。
そのオタクにカテゴライズされているターゲット層を見過たず、そのターゲット層が求めるポイントを抑えれば、少なくとも一定ラインの収益を上げられる。
また、何か「一点局所的な当たり」があり、それが多数のユーザを掴めば爆裂する、という強みもある。
実例としてあげれば、前者が「アリスソフト」様・「エルフ」様、後者が「Key」ブランド様・「age」様にあたるだろうか。
次いで、ポルノ産業について。
古来よりポルノ産業というのは、日陰の存在ながら延々と生き延びてきた。厳密に言うと死滅しないできた。
人間は本能からであろう、性欲に類されるものは下火になっても無くなる事は無い。そういうしたたかな「腰の強さ」を持っているのがポルノ産業だ。
世間の目が厳しい業種であっても、それを求めるユーザがいる限り無くなるとは考えにくい。
当然、人によって性欲のベクトルが違うのでその点を履き違えないように憂慮すべきではあるが(例えばネクロフィリア(死姦))、よほどの事が無い限り、制作サイドとユーザの想像できる性欲のベクトルの差異は小さいだろう。その意味では「やりやすい」と言えばやりやすい。
オタク産業という視点で見ると(20代男性がメインターゲットと言う事もあり)ユーザの嗜好は見えやすい。
ポルノ産業という視点で見ると、ユーザの欲望(ニーズ)も反映しやすい。
エロゲー業界を俯瞰すると、この2点の産業的構造が見て取れる。つまり「何が必要なのか」と言うのが明確なのである。
商業的に考えれば、これほど分かりやすいターゲット層を持つ業界は他に類を見ない。
極論ではあるが、ターゲット層の望むCG・シーンやシチュエーション・構成などをセールスポイントにするだけで事足りる。
下世話な言い方をすれば、アダルトシーンそのものだけ―――究極的にはCGだけ―――でも充分にユーザが「満足」すればそれだけで勝ちであり、価値があるものとされる。それがポルノの本質だからだ。
「他はまるで駄目だけど…」という評価はむしろエロゲーとして本望であろう。
ポルノ的なものを維持し続けさえいれば、少なくと「クソゲーだけどエロ(CG・シーン)は良かった」というユーザの『性欲』から来る「消極的高評価」を下されるだけで済む。
ゲーム(シナリオ含む)としてもエロも駄目だった、というのでは、目も当てられないし、殊にビジネス・商業的に「後に続かない」のは致命的でもある。
モノにもよるが、ポルノ的要素しか評価されない、という状況は延々に続くとは限らない。
ポルノ的要素―――人間の持つ潜在的な欲望―――で「一定層のユーザ(オタク)」に満足を提供しつつ、
ゲーム的要素―――オタクの琴線に触れたポイント―――でヒット作を生み出すかもしれない。
ポルノ産業であるが故に死滅しにくい業界でありながら、オタク産業独特の爆発力を秘めている。それこそがエロゲー業界だ。
もともと人間が持つ潜在的な欲望―――性欲を満たすポルノ―――を維持しさえすれば、いずれは「間違って」オタクの渇望する「何かにぶち当たる」かもしれない。正確に書けば「ぶち当てるまで模索」して「いずれは見つける(作る)」までの話だ。
実はエロゲー業界で魅力的なのはそこだ。
これこそが自分がエロゲー業界を目指している「主たる理由」である。
エロゲーが趣味の一つであったからこそ、エロゲー業界を考察する理由の一つではあったが、「エロゲーが趣味だから」というのはあくまできっかけに過ぎない。
詰まるところ、趣味であったが故に見えてしまった「業界の特異さ」である。
他にも理由がある。自分の持つ業務経験―――ノウハウ――が活かせる、という点だ。
エロゲー業界には本質的な問題がある。
問題点と書くと語弊があるが、組織的・商業的に未成熟と書けば分かりやすいかもしれない。
未成熟なのは、販売日の遅れ・営業に関する業界話から容易に想像できる。
販売日の遅れは普通に想像できる。
あちこちのWebにも書かれているし、自分にだって想像できる。単純にマスターアップ(完成)出来ず、流通に乗せる事ができなかった(小売店に届かなかった)だけの話だろう。それ以外に考えにくい。
エロゲーはナチュラルな意味でソフトウェア開発だ。
ソフトウェア開発は他業種と同様、企業間による契約か、販売に廻す為に行う。契約であれ販売用であれ、納期というものは基本的に存在する。
モノないしサービスを納期までに作らなければ、(利益が上がったとしても)不要無用の出費を出す。それは究極的に言えば、社員の懐に入るはずの金が無駄に消えてしまう、と言える。
通常、ソフトハウスやブランドを内在している企業(経営サイド)から見たら、その無駄の出費を極度に恐れる。
当然と言えば当然だ。
企業の至上命題は利益を上げる事であって、それ以上でもそれ以下でもない。
利益を上げるからこそ社員に給与も支払うし、場合によってはボーナスも支払う。
経営サイドから見たら、
「いいモノを作ってしまいましたので開発が遅れてしまいました」という開発リーダー(プロジェクトリーダー)の「心意気」は
「開発を計画通りに進めませんでした」という言い訳にしか聞こえない。
いかに顧客(ユーザ)に「いいモノ・サービス」を提供しても、(経営戦略にまで関わる)計画を狂わせてしまうのは本質的に『本末転倒』の部類に入るからだ。
事実、その本末転倒―――無駄な出費を出してしまったと推察される―――をしてしまって解雇された人がいるという。あるブランドの公式BBSに書き込まれている。本人が自ら公表した。
自分が今まで携わったプロジェクトは、ソフトウェア・ハードウェア的なものを作る技術がある、というよりも、
いわゆる「コミュニケーション能力」、すなわち「他者との意思疎通能力」を重視されていた。理由は単純で「ミーティングでちゃんとモノを言えるよね」という事だ。(技術・知識があるのは前提条件であるのは言うを待たない。また、無かったとしても「スケジュール内で自学でき、期日までに仕事をこなせれば良し」という風潮でもあった)。
そういった職場に務めていたせいか、最初に(週・日単位)スケジューリングを立てる事が納期の遅れを防ぐ、そういう経験則を学んだ(厳密には納期の遅れを「体験しなかった」)。
刻々と迫るエンド(納期)を睨みつつ
●スケジューリングされた日程がこなされているかを把握・確認し、
●他チームと連携すべき歩調を合わせ、
●想定されるトラブル(概ねスケジュールのズレ込み)を予測して対策を考案・実行する、
という3点こそが、今まで納期を超えなかった最大の理由だろう。
突き詰めて言うと、
スケジュールの大まかな流れを組み立てる「計画力」と、
ミスや遅れの存在を前提、あるいは察知する「想像力」と、
ミスや遅れのフォローする「調整力」、
というのが納期までに仕上げるコツ(スケジューリングの技術論)といえる。少なくとも、自分の目を通して見た(アフターケアも含む)プロジェクトはそのようにして完遂された。
そういう観点から見ると、開発の遅れから生じる販売日の遅れは、
納期達成の為の経営努力の無さ―――無論「職人」「技術屋」が作るものゆえに拘りもあろうが―――が明確に見て取れるのだ。
そこに、自分の持つ「業務経験」を活かせる可能性を持つ。
それは当然、可能性に過ぎないが、1プロジェクトで
・予測できる出費、すなわち1人/月のコスト(50万~100万×月数)と
・予測できない出費、すなわち納期遅れによるx人/月のコスト(50万~100万×月数×人数)
の2点を考えれば、どちらがより「損失を抑えられる」か、という自分のアッピールになるだろう。
誤解が生じるかもしれないので書いておくが、決して自分は「良質の物語」を生み出したいがため―――シナリオで泣かせるという風潮に「便乗」するため―――にエロゲー業界を目指しているのではない。そもそも、自分にシナリオで泣かせる作家性の存在を信じていない。
自分に作家性を信じていれば、より容易な小説を書けば済む話というのもある。
いわゆる「戦略(ストラテジー)」と「戦術(タクティクス)」の違いがある。
商業として成功を収める戦略的存在としてエロゲー業界を見定めており、
戦術的手段として「一定層のユーザを満足『できる』ポルノ的要素」と「大多数のユーザを満足『できるかもしれない』ゲーム的要素」を見越している。
一応自説を書いておくが、シナリオの良質さ、というのは戦術的手段に他ならない。それを戦略というレベルに錯覚してしまう事こそが、雨後のたけのこのごとく、ソフトハウス・ブランドの衰勢興亡を起こしいるのだろう。
それは「戦術的手段」>「戦略的構想」という誤った見方をしている(ソフトハウス・ブランドが多い)、というのが自分の分析だ。
潜在的顧客であるターゲット層をいかに顧客と成すか。その点を見誤っているがゆえに「数が売れない(売り上げ本数が上がらない)」という事象を生み、「エロゲー業界は不況」という現象となっているのであろう。
経営学で「不況のときこそチャンス」という言葉がある。
それはあまり考えなくても売れた好景気の時と異なり、
戦略的に「ターゲット層のニーズに合わせた製品」と「製品作りのチーム・メンバー構成」を構築し、
戦術的に「ターゲット層のニーズに合わせた製品作り」と「ターゲット層への広告・営業」を実施する必要があるから出てきた、歴史的な背景を持つ言葉だ。それは、鉄血宰相と言われたビスマルクの言葉「凡人は経験に学ぶが、私は歴史に学ぶ」を思い出させる。
(もっとも、これは経験を否定する言葉でない。よりよい方法(モア・ベター)を模索するための―――特に政治・外交で必要な―――言葉であるのを付記しておく)
まさに、現在のエロゲー業界を指し示していると言えよう。
ちなみに、自分が「エロゲー」で表現したいものは、無いとは言わない。それは確かに、胸の中(うち)にある。
それは歴史だ。
「ような」という表現を使いたくないが、未だテーマなど主軸たる「言葉」が見えていないのでここではそのような書き方をするが、
史実で言うと、ジャンヌ=ダルクのようなレジスタンス、山田長政のようなサクセス・ストーリー、
フィクションで言うなら、「ロードス島」シリーズ(小説)やタクティクス・オウガ(ゲーム)のような戦史、
そういった「仮想歴史を描く」事こそ、エロゲー業界で表現したい事ではあるが、それはあくまで主たる理由ではない。
あくまで「可能であれば」やりたい、というものであるし、極論を言えば、そういったものを描きたければ、エロゲーでなくとも同人レベルで表現すればいいだけの話だ。
(それをエロゲーで作りたい、と「押し通せる」事が可能であれば、それはそれで自分の影響力、言い換えれば立場の強さを測る事にはなろうが)
整理する為にも書いておこう。
自分がエロゲー業界に入る理由は、エロゲー業界が
「ポルノ産業」であるがゆえに死滅しない(最低ラインは想定できる)業界でありながら、
「オタク産業」であるがゆえに爆発力を秘めた業界でもある。
つまり、一朝事あらば「功なり大をなす」可能性を秘めている点だ。
そういう業界でありながら、エロゲー業界は現在、不況と見なされている(販売されているタイトル数が多すぎる現状もあるが、「アタリショック」的な要素は見受けられない)
しかし、それを打破しうるソフトハウス・ブランドの数が極端に少ないと見受けられ、そこに「自分が食い込める」要素―――あくまで実践のない経営論・制作論ではあるが―――を含んでいる。
また、制作サイドの問題―――関連各所の小売店・流通にまで与える影響―――がある。販売日の遅れから推察される制作管理の問題だ。
そこに、自分の今まで経験してしてきた制作管理のノウハウが活かせる可能性を持つ。つまり、自分から企業(ソフトハウス・ブランド)に必要性・希少性をアッピールできる点も見逃せない。
これら3点を考えれば、自分のように「夢も野望も持つ」人間に言わせれば、まさにエロゲー業界は格好の業界といえる。
あとは、世間が持つポルノ的な壁を乗り越えられるかが、業界入りするかの分水嶺と言えよう。少なくとも、親には公言を憚る業界であるのは間違いない(「ソフトウェア・アプリケーション開発業」とぼかす事になるだろうか)。
話は飛ぶが、鏡裕之氏のBlogに「市場価値と組織内価値」という興味深いエントリがある。
給与、という観点から見ると、冗談ではなく半減するだろう。少なくとも、手取り20万は絶対に超えない、と容易に推察される。
しかし、自分のように夢も野望も持つ人間にはそれを「甘んじて受け入れる」覚悟はあるし、そもそも市場価値という見方をすると所詮その程度であるのは理解している。
企業(ソフトハウス・ブランド)から見たら、「自分の持つ可能性」に初任給ないし試用期間のバイト代を支払うのである。それが必要最小限の生活を送る給与であるのは、ある意味で必然である。
本来なら、成すべき転職ではない。
だが、その「成すべきではない転職」を行った歴史上の人物がいる。
もっとも有名なのが、豊臣秀吉の弟、豊臣秀長。
彼は、充分以上に食っていける農民から、それ以下の現金収入―――事実、食う事しか出来ないレベル―――しか取れない兄に付いて行き、3年後には旧に復し、7年後には近江長浜で1万2千石(6億円相当@1石=1貫文=10万円&5公5民換算)、最終的(20年後)には100万石超を成した(無論、戦国の世ゆえの伸張の大きさもあるが)。
自分の心を奮い立たせる為に敢えて言おう。
他人に出来た事が、自分に出来ないはずは無い
それはあくまで可能性でしかない。
その、自分の持つ可能性を信じてくれる企業。
有名・無名は問わない。
その可能性を信じてくれた企業に応える事こそ、自分の為すべき事であり、為したい事であり、それが企業の為に繋がり、そしてようやく自分の世俗的な欲望―――収入や知名度など―――に反映されるのである。
鏡氏の言う「組織内価値と市場価値を分けて考える」のに応えて書くと、自分は無自覚に自分を高評価―――組織内価値と市場価値を見誤る―――ほど自惚れてはいない。自惚れるとしたら、自分の夢や野望にこそ自惚れている。
それは臥薪嘗胆の意味する所を「識る(しる)」所以でもあり、そして現在の価値を知るのにつながっている。そこから派生して自分の持つ「市場価値」を上げる―――転じれば「夢や野望を達成させる」―――にはどうしたらいいのか、を見極めるのに行き着く。
エロゲー業界という観点から見ると、「自分が作りたいモノ」ではなく、「市場が求めているモノ」を目指す。
そうして得られるもの―――自分の夢や野望―――を手に入れるのが、自分がエロゲー業界に入る理由である。
誤解を恐れずに書けば、エロゲー業界は人生設計の技術的手段に過ぎない。
エロゲー業界を目指すのは、「たまたま」そういう存在が「身近にあったため」に過ぎない。
別にむっはーε=(゜∀゜*)したいから、という理由ではないのは、最後にも書いておく。