歴史に成功と失敗は存在しない
ニュースソース:「大韓民国は成功した歴史」 教科書フォーラムが発足
そもそも歴史とは結果を見るものではない。その時その時に起きた史実(事件や人物)を見るいわば「経過」を眺めたり、あるいは論評したりするものだ。理由は単純に歴史は現在も連綿と続いているからだ。
例えば、WTC(世界貿易ビル)に飛行機が突っ込んだ9.11。これは「現在を生きている人間」にとってはニュースかもしれない。というよりも、大多数の人間はそう捉えるはずだ。
しかし、イスラーム過激派対アメリカという図式から見たら、これは歴史なのである。
ソースは忘れたが、9.11以前にもイスラーム過激派はWTCを標的にしており、その時は実行犯(予定)が拘束・逮捕されている。その時に計画されていたテロ行為は防がれたが、結局グラウンド・ゼロが作られたのは厳然たる事実だ。
イスラーム過激派対アメリカの「抗争の歴史」。現在はアメリカのカザフスタン空爆後、やいのやいのやっており、今なお続いていると言えるはずだ。少なくとも、これでイスラーム過激派対アメリカの抗争が終わったと思っている人間はいないはずだ(いるとしたら相当楽観主義者か歴史を理解していないかだろう)。
自分は、歴史を見直す事に反対はしていない。歴史的史実を証明する証拠などは後から発見されることが多いのもある。また、その時代の「要請」に従って歴史を見る必要があるためだ。
その瞬間を生きている人間にとっては、その瞬間が大事なのだし、
歴史はその瞬間を上手く生き延びる羅針盤の役目を果たすのが本質なのだから。
そういった意味では、韓国の歴史を見直す行動は否定しない。だが、歴史そのもの、ここでは「韓国の歴史」を成功・失敗の視点で見るのに危うさを感じる。
歴史の事実をどう受け止めるのかは、概ね各人各人によって異なる。また、異なる受け止め方をすべきでもある。そうでないと多角的な視点を得る事が出来ず、視野狭窄に陥る危険性があるからだ。
また、「正しい歴史」というのは存在しない。何をもって正しいと判断するのか。
民主主義の世界では多様な価値観、正確には各人の主義・主張を認めるのがその本質だ。その事を考えれば、「これが正しい」と掲げる、あるいは押し付ける価値観はふさわしくない。
絶対王権制・祭政一致制の国ならそれも相応しいだろうが、韓国は民主主義の国のはずである。
それを考えれば、正しい歴史とは美女の肖像画と同様、愛でる存在ではあるが実存しない、というスタンスを保つべきだろう。
だからといって、自分は韓国の行為を否定しようとは思っていない。他人の振り見て我が振り直せ、である。日本の歴史教育を見れば、「正しい歴史って何だよ」笑って馬鹿にする事はできない。それは自分自身を嘲笑い、貶める行為だからだ。
少なくとも、近・現代史を学ぶ際に必要なもの。それは偏見と思い込みを捨てる事。おそらく、それを忘れなければ健全に歴史を学べると思う。
そもそも歴史とは結果を見るものではない。その時その時に起きた史実(事件や人物)を見るいわば「経過」を眺めたり、あるいは論評したりするものだ。理由は単純に歴史は現在も連綿と続いているからだ。
例えば、WTC(世界貿易ビル)に飛行機が突っ込んだ9.11。これは「現在を生きている人間」にとってはニュースかもしれない。というよりも、大多数の人間はそう捉えるはずだ。
しかし、イスラーム過激派対アメリカという図式から見たら、これは歴史なのである。
ソースは忘れたが、9.11以前にもイスラーム過激派はWTCを標的にしており、その時は実行犯(予定)が拘束・逮捕されている。その時に計画されていたテロ行為は防がれたが、結局グラウンド・ゼロが作られたのは厳然たる事実だ。
イスラーム過激派対アメリカの「抗争の歴史」。現在はアメリカのカザフスタン空爆後、やいのやいのやっており、今なお続いていると言えるはずだ。少なくとも、これでイスラーム過激派対アメリカの抗争が終わったと思っている人間はいないはずだ(いるとしたら相当楽観主義者か歴史を理解していないかだろう)。
自分は、歴史を見直す事に反対はしていない。歴史的史実を証明する証拠などは後から発見されることが多いのもある。また、その時代の「要請」に従って歴史を見る必要があるためだ。
その瞬間を生きている人間にとっては、その瞬間が大事なのだし、
歴史はその瞬間を上手く生き延びる羅針盤の役目を果たすのが本質なのだから。
そういった意味では、韓国の歴史を見直す行動は否定しない。だが、歴史そのもの、ここでは「韓国の歴史」を成功・失敗の視点で見るのに危うさを感じる。
歴史の事実をどう受け止めるのかは、概ね各人各人によって異なる。また、異なる受け止め方をすべきでもある。そうでないと多角的な視点を得る事が出来ず、視野狭窄に陥る危険性があるからだ。
また、「正しい歴史」というのは存在しない。何をもって正しいと判断するのか。
民主主義の世界では多様な価値観、正確には各人の主義・主張を認めるのがその本質だ。その事を考えれば、「これが正しい」と掲げる、あるいは押し付ける価値観はふさわしくない。
絶対王権制・祭政一致制の国ならそれも相応しいだろうが、韓国は民主主義の国のはずである。
それを考えれば、正しい歴史とは美女の肖像画と同様、愛でる存在ではあるが実存しない、というスタンスを保つべきだろう。
だからといって、自分は韓国の行為を否定しようとは思っていない。他人の振り見て我が振り直せ、である。日本の歴史教育を見れば、「正しい歴史って何だよ」笑って馬鹿にする事はできない。それは自分自身を嘲笑い、貶める行為だからだ。
少なくとも、近・現代史を学ぶ際に必要なもの。それは偏見と思い込みを捨てる事。おそらく、それを忘れなければ健全に歴史を学べると思う。