キネティックノベル | 孤独が好きな寂しがりやBlog

キネティックノベル

キネティックノベル。
言葉面を取れば、ノベル、即ち小説と捕らえがちだろう。というより、普通は「ノベル」と考えるのが普通だ。

しかし、ディスプレイで見る、という形態を取れば、キネティックノベルは映画の変化形として見るのも可能ではないだろうか。
公式サイトから行けるゲームレビューには「プレイ時間が短い」「もっと長くしろ」といった辛い評価も見受けられたが、2時間ほどで1050円。映画館に行くのとさして変わらない金額でもある。
また、電子媒体を購入する形でもあるので、何度も読み返す事も可能だ。


映画の魅力。
言うまでも無く、大迫力と音声、そして俳優の演技力だ。

小説の魅力。
文章による細やかな表現。


映画と小説を完全に融合させるのは(コスト的にも造り的にも)実現できるとは考えにくいが、その点さえ折り合える造りにすれば、キネティックノベルには映画と小説の魅力を兼ね備えた新しい表現方法足りえるような気がする。
動画が立ち絵・イベントCGに変わった「代替アニメ」とも言える代物でもある。



銀色・朱(Aka)というエロゲーがある。
造りに拘り過ぎてしまったきらいがあるが、映画(字幕付き)のようにプレイが出来るゲームだ。
このゲームは、マウスクリックなしでも物語は進む。要は、映画・アニメを見ているかのように、何もせずにゲームが自動で進行していく。
画期的と言えば画期的なシステムと言える。
ただ、惜しいかな、銀色は異様なまでに動作が重くて長ったらしく、
朱(Aka)はエロスを放擲したエロゲーでしか無く、また物語が長すぎるという欠点が目立ち過ぎた。


しかし視点を変えれば、形態そのものはキネティックノベルとほぼ同じだ。
キネティックノベルはゲームの形態を崩さず、銀色・朱(Aka)は映画の造りを意識した。


ここにエロゲー発エロゲー脱却の新しい表現方法を見出す事が出来る。


よく考えたら、Keyブランド(VisualArts社@キネティックノベル運営会社)はエロスよりも物語性を重視した、エロゲーから見たら「異質」の存在だった。事実、Keyブランドのエロゲーでエロスが良かった、という話は寡聞にして聞いたことが無い。というよりも、エロスそのものを求められなかったからこそ、エロゲーの中では異質だった。
Kanon、Air、ClannadというKeyブランドのゲーム。
Clannadこそ(エロゲーではない)全年齢対象ゲームだが、
Kanon、Airと、エロスではなく物語を求めるユーザがいたからこそ(正確にはエロスが必要ではないと判断したからこそ)Clannadはエロゲーから脱却したのだろう。

その経緯を考えれば、エロスが無くとも物語性で利益を見込める、とVisualArts社が判断し、そちらに触手を伸ばしたのも肯ける話だ。
エロゲーである限りユーザの裾野は広げられない、という限界値もある(単純に言えば、家庭用コンシューマ機の1/10程度の市場)。

ただ、ゲームの形態をとり続ける限りコスト的に安定しない。事実、Clannadは数年の開発期間を経ている。売れたからいいようなものの、このような不安定な経営を望む経営者は少ないだろう。


開発コスト、ターゲットユーザの多寡、物語性重視、表現方法の可能性。
それらを総合的に考えれば、キネティックノベルという形態は一種の発明と言えるし、新しい市場開拓でもある。


無論、新技術(正確には技術融合を組み合わせたもの)であるから、今後の展開如何によって発展するか失敗するか分からない。
だが、自分は、キネティックノベルは大きく伸びる可能性を多分に含んでいると思う。


結論。
可能だったらVisualArtsの株買え。
おいらは借金返済後なんでお金ないけど。