世界史を学ぶとは | 孤独が好きな寂しがりやBlog

世界史を学ぶとは

世界史とは何だろう。
100人中99人が「世界(地球に存在する全ての国)の歴史だ」と答えると思う。
残り1人くらいはどう答えるか分からないけれども、概ね世間的な常識では日本を含めた諸外国の歴史と認識しているはずだ。

ところが翻って考えてみると、世界の歴史とは何を指し示しているのだろうか。

学校教育、高校教育で言う世界史は、4大文明から古代中国、大航海時代以前の欧州史も教えている。それは果たして世界史だろうか。
自分はそれを否定したい。自分は、オランダ・ポルトガルから始まった大航海時代以降を世界史だと定義したい。

理由はただ一つ。
4大文明にせよ、古代中国史にせよ、大航海時代以前の欧州史は「各国単一の歴史」であって世界を含めた歴史とは言いがたいからだ。
あえて言うならチンギス=ハーンの興したモンゴル帝国がそれに値するかもしれないが、その帝国が崩壊し、再び各地域(国)個別で進む歴史となってしまった。

ところが大航海時代を生み出した航海技術(羅針盤)は、収奪システムという異端児を産み落としたものの、
主に欧州の文化を世界各国に広め、貿易と言う経済を生み出し、各国のつながりを作った、という意味ではその存在意義は大きい。
殊に「各国のつながり」の歩み、即ち、世界史という新しい歴史を作った点においては、人類社会を大きくした。そういった意味で、自分は世界史とは大航海時代から始まったと定義している。


そもそも歴史とは「経過」ないし「継続」を意味する。
結果ではない。
こういう経過(史実)を経て結果を生み出し、さらにその結果(経過:史実)を経て新しい結果を生む…という連続性こそが歴史の本質、言い換えれば「歴史を学ぶ意義」である。

人間社会は過去より連綿と続いてきた。
日本史で簡単に分かりやすく言うなら、
「古代」→「奈良」→「平安」→「鎌倉」→「室町」→「戦国」→「江戸」→「近代」→「現代」
という流れがある。

非難になるが、こういう「流れを学ばない」高校歴史教育においては、歴史の本当の面白さ・ダイナミズムが分かりにくい。


大航海時代が始まり、日本にその影響が及んだのは戦国時代。
鉄砲の伝来が有名であり、まさに時代を変えた一大トピックではあるが、この時期にもたらされたのはそれだけではない。
望遠鏡(レンズ)もこの時期に伝えられ、現在の日本のレンズ研磨力は江戸時代を経由して世界最高峰のレベルにまで達している。
また帝国主義の常識と言おうか、海外の植民地支配の模様も伝えられたため、豊臣秀吉は「縮小貿易」を慣行、江戸時代も出島のみを経由した制限貿易を行う事になった。

その後、海外の技術(正確には遠距離用の航海技術や砲撃技術)を積極的に取り入れようとしなかったため、いわゆる「大航海時代の常識」に乗り遅れた日本だが、
幕末期にペリーの恫喝により伊豆下田・蝦夷函館を開港、不平等条約を結ぶ事になる。

ここに一つ誤解がある。
この時期、日本が乗り遅れたのは先ほど書いた遠距離用の航海技術や砲撃技術の2点である。
航海技術は日本から海外に行かないための処置で、
砲撃技術は江戸幕府に歯向かわせないための処置だ。

江戸時代に着たシーボルトが「日本の医療技術がここまで進んでいるとは思わなかった(解体新書)」と嘆息した、と言われているが、当時すでに欧州の医書を輸入・翻訳していた事情がある。
当然であろう。もともと学んだ医療の祖は同じなのだから。
また、土木においても、函館五稜郭の5角形、対ペリーに築いたお台場(台形)は、欧州から輸入した書物から取り入れたものだ。

江戸時代の影に蘭学あり。

鎖国とは正確な事実ではない。欧州に銅を輸出した実績もあるし、国内の金銀相場変動は出島から発している。
笑い話だが、かの平賀源内は輸出用の銅山開発に失敗したために、エレキテルを見世物にして稼ぎ、山師的な存在と目されていた(もっとも蘭学者としては有名だったが)。

また、ゴールデントライアングルと言われている薬物的某所(敢えて場所名は伏せます)。
これはイギリスが清(現在の中国)に阿片を売りつけるために作らせたのが現在でも続いている。
その時の阿片戦争の模様が日本に伝えられ、吉田松陰や福沢諭吉らによって啓蒙される結果ともなっている。


このように、江戸時代をざっくりと見ただけでも世界史とリンクした部分があり、根拠のある流れとなっている。
中学・高校の歴史教育ではひたすら年号や人物を覚える、という暗記術では歴史のダイナミズム・面白さが分かりにくい。

日本史単一だけ見ても、他国と関係している部分がある。


聖徳太子の12官位の設立。
これは隋(現在の中国)の模倣だが、逆に言うと隋のシステムを知らないと作りようが無い。
17条の憲法。
これは法というものを理解し、日本風にアレンジしたもので、両国の事情を把握していないと作り得る代物でもない。

空海・最澄。
彼らは唐(現在の中国)に留学したが、それぞれ2年弱程度しか学んでいない。これでは、現地の言葉を学ぶだけで終わってしまう。
では、何をやったのか、というと、経典や書物などの買い付けである。
根拠は分からないけれども、現在の価格にして数十億円のカンパを受け取った、という記録があるという。
名も無き留学僧も同程度のカンパをスポンサーから受け取った、とも言われている。

菅原道真。
彼は遣唐使の廃止を訴えたが、これは安史の乱、という唐の現状と、日本が学ぶべきもの(買い付けるもの)が存在しなくなった、という事情を把握していたためだ。

元寇。
完全無欠に日本防衛戦だったが、これで得られたのはまるでなく、御家人(農民系武士)の財政が逼迫。徳政令という経済を無視した暴挙により商人系武士の離反を促し、後に幕府が倒れる結果となる。
脱線するが、楠正成は儒学(朱子学)を信奉していたので後醍醐天皇側に着いた、とも言われている。
(朱子学は忠義を重んじ、江戸時代の「必須科目」となっている)

江戸時代は武士の世の中でいわゆる「封建制度」と言われているけれども、経済的なシステムで言うと立派に「近代」の世の中である。
長崎出島を経由した金銀相場で儲けた豪商もあれば、
欧州に銅を売って儲けた豪商もいるし、
世界初の先物取引(米相場。株関連でろうそく足が「発明」されたのもこの時期)、
現銀掛値無し(定価販売)などなど。
北海道産のニシンが京阪の名物になっているのは、「貿易」が始まった名残でもある。


このように、歴史とは単一国家のみで成り立っているのではない。
そういった意味では、「日本史」で日本の歴史のみを学ぶのはナンセンスと言える。

世界史の一環、としてこその日本史を学ぶのであれば、学問分野としての歴史を学べると思う。


世界史を学ぶことこそ、現在を生きる指針となる。
それを表す言葉がある。

プロシアの鉄血宰相、ビスマルクの言葉。
「予は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」

この言葉の意味するところを、少し考えて歴史を学んだほうがいい、と自分は思う。