師匠
自分には師と仰ぐ人が多い。
多くはその書物を通じ、自分が勝手に「師匠」と崇めている存在だ。
一番最初に自分が師と仰いだ人は、樋口清之氏。自分は樋口氏の存在を知ったときにはすでに故人となられていたが、自分に「趣味は歴史だ」と言わしめるほどの影響を与えた。
考古学が専攻でありながら、日本史を倒叙法(現在から過去を遡って歴史を紐解いていく方法)で解説した本、「逆・日本史(さかさ・にほんし)」、民俗学と言っていい見地から日本人の歴史を見た「梅干と日本刀」は、当時大学生だった自分を強くひきつけた。
樋口氏が故人である、と知ったときの落胆は相当だった。
何故なら、冗談抜きで樋口氏が教鞭を取っている大学に入りたい(しかも専攻を変えてでも)と思っていたからだ。
その次は、大学時代の恩師。
自分は大学を中退したけれども、今も実家に帰る途中に大学近辺でちゃっかり会ったりしている。
英語の教鞭を取っていたが、ユニークにも(?)禅を扱った本で英語を教えていた。
禅、という事だからだろうか、自分にとって新鮮な世界でもあったし、大学を中退する、と決めた時に、1対1で様々な話をしたときに深い感銘を受けた。
「為さざる有るなり。
而(しか)る後もって為すあるべし。
学はこれに過ぎず」
これは自分が大学を中退する時に戴いた言葉だ。
正直に書けば、この言葉の意味するところを完全に理解していないのだが、この言葉が分かるようになろう、というのは自分の目標の一つでもある。
恐らくは日本で最も嫌われているであろう、小林よしのり氏も自分の師匠と言える。
小林氏の主張にはいささかの異論があり、自分と合っている所は半々といったところだろうか。
しかし、小林氏は貪欲なまでに知識を取り入れ、吸収して自分の頭で考え、そして吐き出す、という氏の行動は、
自分を映し出す鏡として、今なお機能している。
切込隊長@山本一郎氏も自分の師匠と言えようか。
毒を吐きながらも、その主張が一貫しているところはすさまじい。
同じBloggerとして、一貫した主張を書けるようになりたい、と思っている。
最近知った、鏡裕之氏。
鏡氏のBlogを知らなかったら、自分は勘違いしたままエロゲー業界で就職活動をするところだった。その点だけでも師匠と勝手に崇めている(就職できない可能性もあるけれど)。
鏡氏の持つ知的レベルの高さ、そしてその高い知的レベルからみた膨大なエロゲー業界に関する考察。
控えめながらも、自分は歴史考察を軸に知的レベルは持っていると自負しているが(こうやって書くと不遜ではあるけれども)、到底、鏡氏の知的レベルには及ばない。
厳密に言ってポルノ産業たるエロゲー業界とはいえ、このような人もいるのだな、と考えれば空恐ろしく感じる。
こういった自分の師匠たちに、一歩でも、半歩でも近づきたい。
そのためには、どうすればいいのだろう。
日々、研鑚し、自分を高める。
やるべき事は分かっても、やるべき方法が分からない。
それがもどかしい。
しかし、そのもどかしさが楽しい。
少なくとも「退歩しなかった」事だけでも、自分にとっては喜ばしい。日々を新鮮に暮らせる、と実感できるからだ。
多くはその書物を通じ、自分が勝手に「師匠」と崇めている存在だ。
一番最初に自分が師と仰いだ人は、樋口清之氏。自分は樋口氏の存在を知ったときにはすでに故人となられていたが、自分に「趣味は歴史だ」と言わしめるほどの影響を与えた。
考古学が専攻でありながら、日本史を倒叙法(現在から過去を遡って歴史を紐解いていく方法)で解説した本、「逆・日本史(さかさ・にほんし)」、民俗学と言っていい見地から日本人の歴史を見た「梅干と日本刀」は、当時大学生だった自分を強くひきつけた。
樋口氏が故人である、と知ったときの落胆は相当だった。
何故なら、冗談抜きで樋口氏が教鞭を取っている大学に入りたい(しかも専攻を変えてでも)と思っていたからだ。
その次は、大学時代の恩師。
自分は大学を中退したけれども、今も実家に帰る途中に大学近辺でちゃっかり会ったりしている。
英語の教鞭を取っていたが、ユニークにも(?)禅を扱った本で英語を教えていた。
禅、という事だからだろうか、自分にとって新鮮な世界でもあったし、大学を中退する、と決めた時に、1対1で様々な話をしたときに深い感銘を受けた。
「為さざる有るなり。
而(しか)る後もって為すあるべし。
学はこれに過ぎず」
これは自分が大学を中退する時に戴いた言葉だ。
正直に書けば、この言葉の意味するところを完全に理解していないのだが、この言葉が分かるようになろう、というのは自分の目標の一つでもある。
恐らくは日本で最も嫌われているであろう、小林よしのり氏も自分の師匠と言える。
小林氏の主張にはいささかの異論があり、自分と合っている所は半々といったところだろうか。
しかし、小林氏は貪欲なまでに知識を取り入れ、吸収して自分の頭で考え、そして吐き出す、という氏の行動は、
自分を映し出す鏡として、今なお機能している。
切込隊長@山本一郎氏も自分の師匠と言えようか。
毒を吐きながらも、その主張が一貫しているところはすさまじい。
同じBloggerとして、一貫した主張を書けるようになりたい、と思っている。
最近知った、鏡裕之氏。
鏡氏のBlogを知らなかったら、自分は勘違いしたままエロゲー業界で就職活動をするところだった。その点だけでも師匠と勝手に崇めている(就職できない可能性もあるけれど)。
鏡氏の持つ知的レベルの高さ、そしてその高い知的レベルからみた膨大なエロゲー業界に関する考察。
控えめながらも、自分は歴史考察を軸に知的レベルは持っていると自負しているが(こうやって書くと不遜ではあるけれども)、到底、鏡氏の知的レベルには及ばない。
厳密に言ってポルノ産業たるエロゲー業界とはいえ、このような人もいるのだな、と考えれば空恐ろしく感じる。
こういった自分の師匠たちに、一歩でも、半歩でも近づきたい。
そのためには、どうすればいいのだろう。
日々、研鑚し、自分を高める。
やるべき事は分かっても、やるべき方法が分からない。
それがもどかしい。
しかし、そのもどかしさが楽しい。
少なくとも「退歩しなかった」事だけでも、自分にとっては喜ばしい。日々を新鮮に暮らせる、と実感できるからだ。