続・わくたまさんに噛み付いて見よう(嘘)
-------------以下29日分----------
昨日Upしたのは仕事の合間であった事もあって、かなり雑文となっておりますゆえ、改めて整理して記事としました。
っつってもこの記事も仕事の合間に書いたものなので雑文なんですが。
これら一連の記事は、後ほどまとめ上げるとして、自分の考え方をさらっと書いておきます。なんでまだトラックバックとかはナシ。
>その一方で、所詮は地裁の判決ですから、
>最高裁まで行かないと結論とするにはどうかなぁ、
>というのは正直思ってはいました。
>厳密に考えるなら最高裁待ちとするのが、
>最も理論的な考え方かも知れません。
確かに違憲か合憲かの判断も必要なんでしょうけど。
ただ「自分の常識的判断」からみると、
『そんな些細な問題を法廷に持ち込むのは労力の無駄だ』
なんですよね。
政教分離とは、宗教的常識・判断を政治に持ち込むな、
という事なんでしょうけど、
参拝が宗教的な常識とか判断とかには当たらないような気がしますね。
だったら代議士・関係閣僚の皆様が教会に行くのもお寺に行くのも禁じられるわけですし。
極論を言えば、お墓にだって行けないわけですから。
>>>● 伊勢神宮参拝はよくて、靖国参拝がダメなのはおかしい
>>論点が不明。
>私の問題提起は小泉首相の「伊勢神宮参拝は問題ないのに~」という発言を受けてのものです。
これに関しては、自分の認識不足でした。
何か微妙にズレてるな、と思ってたら小泉首相の発言だったんですね。
論点のすり替えである事は間違い無いですが、この発言を受けた記者の方々に言いたいですねぇ。「そこで伊勢神宮は関係無いだろう」って。
>>>● 伊勢神宮参拝はよくて、靖国参拝がダメなのはおかしい
>>宗教的な色彩は強くないし
>しかし多くの宗教家はそうは考えないようです。
>これは結局のところ程度問題です。
>しかしながら憲法にうたわれる政教分離はそうではありません。
>0 or 1です。従って私は伊勢神宮の参拝にも反対です。
やはり自分としては、靖国神社参拝を宗教的行動、と考えきれないですね。
程度も何も無いだろう、と。
各種様々な考え方があるのは分かりますが…。
そもそも、何を持って「政教分離と成すか」という所が各人バラバラで明文化、慣習化されていないのが問題ですね。
だからこそ、わくたまさんと自分の意見が食い違っているんでしょうけど。
出るかどうか分かりませんが、最高裁で「何をもって政教分離とする」という判例を出してもらえれば解決はするんでしょうけど。
>>>● 靖国神社参拝は宗教行事ではない。政教分離に反しない。
>>政教分離に反していない。
>多分、ここの溝だけは埋まりそうにないですね(笑。
>でもそれでよいとも思います。
>それに、国民感情的にもアレに「政教分離」は言い過ぎといのは、
>バランスの取れた意見だと思います。
>私もそういう意見があるだろうとの前提で、
>幕引きのための妥結案を提起したつもりです。
妥協案ですか…。
自分としては議論をしたいだけ(?)なので、妥協と言われても意にそぐわない面があります。
お互いがお互いの言っている事、主張している事を理解する、という意味での妥協なら望むところですが。
まぁ互いの前提が異なっている時点で解決(決着)できる問題ではないのは肌で分かっているんですよ。
ですが、「政教分離とは何か」、
そしておそらく決着のつかないであろう「宗教とは何か」。
多分、ここが日本人各人の濃度が違うんでしょう。
だからこそ、敢えて噛み付いた(?)んですが…。
>まず、裁判所に「職務行為」と認定された時点で政教分離の問題です。ただし、靖国神社への参拝が宗教行為かどうかはまだ確固たる判決は出ていません。ただし1件、政教分離に反するという違憲判決が出ていますし、靖国神社が宗教法人として認定されていることからも、「宗教行為でないことが明白」とはとても言えないでしょう。
靖国神社への参拝が宗教行為かどうかの判決が出ていない、という事ですが、
だったら先祖の墓へのお参りはどうなのか、(キリスト教信者の)教会へミサなどに行くのはどうか、というのも問題にされてしかるべきでしょうね。この点を差し置いて「靖国参拝はダメじゃねーの」という突っ込みは成立し得ないと思います。
また、一般的には日本は檀家制度がありますので、そちらもどうよ、という事もあるでしょう。
っつーか事の発端は「アサピー」が靖国神社参拝はどうよ、と中国様経由で言ったのが始まり、と言われてる時点で議論の価値すらない、と言えなくも無いんですが。
>また、政教分離を厳密に考えるなら、そもそも靖国神社がこれだけメディアに露出する機会を国がつくっているだけでも十分に問題なのです。メディアへの露出の結果、靖国神社への参拝者が増え、そして寄付が増えたなら、国が特定宗教法人を利する状況を作ったことになるわけです。さらに宗教法人の収入のほとんどには税金がかからないわけで‥‥。上手くすればちょっとした政治資金の還流構造を作れるわけです。むしろ多くの宗教家はこの点を問題視している向きもあります。
ちょっと自分の意見は違いまして、「靖国神社がこれだけメディアに露出する機会を国がつくっているだけ」というのは、主従が逆だと思います。昭和30年代とか40年代だかは、政治家が靖国神社に行った事は報道されない時期がありました(と何かの本で読んだことがある)。
というよりも、マスメディアが大々的に報道しているからこそ国民の目に触れてやいのやいの騒ぐ(訴訟する)勘違い人種な方がおられるわけで、自分の感覚としてはYahoo!Newsの「首相動静」程度に入るレベルの内容と思っています。
>あと、私は唯物論者ですが、この論を確かにするにあたっては、仏教やキリスト教がどのように発展してきたか、またどのような思想背景をもつか等はそれなりに勉強しています。それ故に、宗教・思想が政治に関連する弊害についても非常に小うるさくチェックしています。例えば、アメリカなどはちょっとした油断の隙にキリスト教原理主義が台頭し、危ういバランスの元に成り立つ国家になってしまったわけです。
自分は宗教というものを歴史のレンズから見てるだけですので、何ともいえないんですが、宗教の危うさはある程度把握しているつもりです。十字軍遠征、異端諮問会による土着宗教弾圧、キリスト教国教化による宗教弾圧などなど(ってもキリスト教関係ばっかかよ(^^;)
それはさておき、ちなみに自分は
「宗教ないし宗教的(日本教など;以下の雑文を参照)なものは人間の哲学・常識の芯と言える者で、これを切り離して社会生活は営めない」
「政教分離でいう宗教とは『組織化された団体が政治の場(公の場)で宗旨を主張する事』と考えている」
と考えています。
>そんなこともあって、私は政治から宗教・思想的なものを極力排除しようとしているわけです。
自分も政治の場から宗教(宗教団体)は排除すべきだと思っていますが、思想はどうでしょう?
いわゆる右派・左派など、そういった思考・判断の基準となるであろう思想は排除しようにも排除できないと思いますが…。
----------以下、28日分----------------
>これはつまり私的参拝という言葉に置き換える事が出来ます。
>公的の反語として私的という言葉がある以上、
>「公的も私的も無い」
>「公務とは関係無い」
>この二つの言葉は矛盾するような‥‥。
少し言葉が足りませんでした。
「公的・私的に関わらず、参拝したのは事実で(参拝客がどんな肩書きを持っていたとしても)一参拝者に変わりは無いだろう」という考え方です。
「公務とは関係無い」というのは、靖国神社参拝は首相の仕事とはまるで関係ないんだから、
「お前仕事してるのかよ」という突っ込みか
「プライベートだから気にするな」
のどちらかだよね、という事です。
法の下に人間(国民)は平等、と同様の考え方をしています。
というよりも、公的参拝・私的参拝という言葉自体に屁理屈を、もっと言うなら胡散臭さを感じており、
「そんなどうでもいい事にどうでもいい言葉を捏ね繰り回すより、他に建設的な事があるんじゃないか」とため息をついていたりします。
>> 政教分離に反していない。
>多分、ここの溝だけは埋まりそうにないですね(笑。
>でもそれでよいとも思います。それに、国民感情的にもアレに
>「政教分離」は言い過ぎといのは、バランスの取れた意見だと思います。
>私もそういう意見があるだろうとの前提で、
>幕引きのための妥結案を提起したつもりです。
『溝は埋まらない』というわくたまさんの意見はおそらくは正しいと思います。
お互いの考えている宗教という概念、
そしてそれがどこまで政治に介入していいか(すべきでないか)
という2点で根本的に考え方が異なっているのでしょうから。
では、自分の考える宗教、というものについて。
宗教とは何か。
簡単に書くと「神」がいて、行動の規範・戒律といった「道徳」を教え、それに従う事、と自分は考える。
つまり『常識』というものだ。
既成の宗教で言えば、キリスト教やイスラム教などがこれにあたる。いわゆる一神教だ。
ところが、日本では森羅万象に神が宿っている、と考えている。いわゆる多神教で「八百万の神」だ。その信仰があったからこそ、仏教が入ってきてもキリスト教が入ってきても、共存して生きてきた。
(不謹慎な言い方だけど)カソリック信者だった人がお寺で葬られた挙句に先祖代々のお墓(仏教)に眠らせるのは生涯首尾一貫してないじゃないか、と微妙に同情の涙を誘ったり、
仏教系幼稚園でクリスマスイベントを行うのはまぁ幼児を喜ばせるための方便として百歩譲るとしても、住職が率先してサンタクロースの格好(付け髭付き)をするのは言語道断というか、あからさまに仏陀様やキリスト様・マリア様にまとめて喧嘩売っているとしか思えなかったり、と
日本以外ではまず見る事ができない風景を見る事ができる。というか、信者から呆れられるか、ボコられる様が目に浮かぶ。
それほど、日本に入ってきた外来の宗教はオリジナル(起源)からかけ離れている。
海外から来た物は取り捨て選択し、消化・吸収する。これは何も技術や文化だけではない。宗教もそうだ。こうして日本人に根ざしている民族性を総じて、山本七平氏はこう言っている。「日本教」と。
日本教の例をとってみると、
戦国時代に来日した宣教師がいた。彼らは
「日本人は神の教えを理解してくれるが、(キリスト教を信仰しないと地獄に落ちると説いても)『ご先祖様が地獄に落ちてるなら自分も落ちないわけには行かない』といって入信しようとしない」
(日本人は教えを理解しても入信しようとしない)
と嘆いている。
どちらもどちら、という感じがしないではないが、イエス様だろうがマリア様だろうが八百万の中の一人、森羅万象に宿る一つの神、と認識していた事は間違い無いだろう。
また、日本では、結婚は神前で、葬式はお寺で、という奇妙な構造が今なお続いている。最近だと結婚は教会で、葬式はお寺で、というパターンが多いようだが。日本人から見たらそのパターンは奇異には見えないが、外国人からみたら、これほどおかしい話は無い。
某下級生2というエロゲーで、今カレに向かって元カレがこんなにイイオトコだった、と比較させられてブチ切れユーザを続出させるという偉業を達成したが、それと同様に
「お前どっちが好き(信仰しとる)やねん」と関西系外国人だったら間違いなく突っ込みが入る。
他にも、カソリック系や仏教系の中・高校の存在がある。そこに入学する学生の大半は「その宗教だから」というわけでもあるまい。その学校に通って熱烈に信者になりました、とか、カソリックの学校だから通いました、と言う話はついぞ聞いた事が無い。
自分の地元、長崎県は佐世保市にもカソリック系の女子中・女子高があったけど、「(その女子高が)嫌なら何で入ったの?」と聞いたら「県立に入れなかったからエスカレータで入った」だって。
「それはどうよ」という感じがしないでもないけれども、まぁ一般的な日本人だったらそんなものだろう。
また、仏教系の男子校に逝って「(若い女性を見なくて)暗黒の3年間を過ごした」と本気で悔やんだ人もいた。経文読まされるより「女性がいなかったのが…」と半泣きで語ったその口には同情の涙を禁じえなかったけど、「やっぱり異性が先かよ」という突っ込みはさすがに出来なかった。だってその時は遠距離とはいえ彼女いたんだモン(涙)。
っつーか今だから書くけど、仏教系の高校逝って経文書いてきた人間が、先端技術を学ぶ(のかもしれない)工業大学に入るってのはさすがに紆余曲折ぢゃね?
そんな事はどうでもいい。話を戻そう。
歴史的には、政教分離を打ち出したのはアメリカが先だ。
これには歴史的な背景がある。当時アメリカが植民地だった時代、アメリカは食い詰め物の集まる場所だった。そこにはカソリックもいればプロテスタント、英国国教会などが乱立というか、無秩序にあった。
簡単に、というかぶっちゃけていうと、入植時のトラブルやら宗教的心情の対立から「お前ら嫌いじゃぁぁぁ」とブチ切れたものの、イギリス本国が税金を上げると言い出した事から一致団結、アメリカ独立戦争でイギリスから独立を勝ち取った次の瞬間に「宗教でモメるの止そう」と大人の対応を見せたのが始まりだった。端折りすぎて自分でもすげぇ事書いているのに気が付いたので、あまり深く信用しないように。
そういう宗教上の対立から生まれて政治(政体)を興したいきさつがあって、アメリカでは「いかなる宗教にもキリスト教以上に優遇措置は与えない」としている。
ところが、日本では状況が異なり、戦後に政教分離の概念が導入された事、宗教での対立が起き得ない事から、
日本とアメリカの政教分離の考え方が違う。
アメリカ大統領は、その就任式には聖書に手を当てる。
だが日本には、明確な宗教的儀式が無い。
おそらく、この行為が「政教分離」とはいかなるものか、を物語っている。
アメリカではキリスト教に則って、政治を行っている。
日本では、靖国参拝で公的参拝だ、私的参拝だ、で周囲が騒ぐ。
自分が思うに、それで騒ぐ人は「宗教的なことは一切するな」という観点から行動していると思う。
だけど、自分は「人間には宗教(日本教を含める)が必要であって、その人がその人たるには宗教的な『儀式』は必要だ」と考えており、完全な意味での政教分離は不可能だと思っている。
多分、わくたまさんとの相違はそこだろう。
ちょっと雑文になったけど、ここまで。
改めて書き述べます。
昨日Upしたのは仕事の合間であった事もあって、かなり雑文となっておりますゆえ、改めて整理して記事としました。
っつってもこの記事も仕事の合間に書いたものなので雑文なんですが。
これら一連の記事は、後ほどまとめ上げるとして、自分の考え方をさらっと書いておきます。なんでまだトラックバックとかはナシ。
>その一方で、所詮は地裁の判決ですから、
>最高裁まで行かないと結論とするにはどうかなぁ、
>というのは正直思ってはいました。
>厳密に考えるなら最高裁待ちとするのが、
>最も理論的な考え方かも知れません。
確かに違憲か合憲かの判断も必要なんでしょうけど。
ただ「自分の常識的判断」からみると、
『そんな些細な問題を法廷に持ち込むのは労力の無駄だ』
なんですよね。
政教分離とは、宗教的常識・判断を政治に持ち込むな、
という事なんでしょうけど、
参拝が宗教的な常識とか判断とかには当たらないような気がしますね。
だったら代議士・関係閣僚の皆様が教会に行くのもお寺に行くのも禁じられるわけですし。
極論を言えば、お墓にだって行けないわけですから。
>>>● 伊勢神宮参拝はよくて、靖国参拝がダメなのはおかしい
>>論点が不明。
>私の問題提起は小泉首相の「伊勢神宮参拝は問題ないのに~」という発言を受けてのものです。
これに関しては、自分の認識不足でした。
何か微妙にズレてるな、と思ってたら小泉首相の発言だったんですね。
論点のすり替えである事は間違い無いですが、この発言を受けた記者の方々に言いたいですねぇ。「そこで伊勢神宮は関係無いだろう」って。
>>>● 伊勢神宮参拝はよくて、靖国参拝がダメなのはおかしい
>>宗教的な色彩は強くないし
>しかし多くの宗教家はそうは考えないようです。
>これは結局のところ程度問題です。
>しかしながら憲法にうたわれる政教分離はそうではありません。
>0 or 1です。従って私は伊勢神宮の参拝にも反対です。
やはり自分としては、靖国神社参拝を宗教的行動、と考えきれないですね。
程度も何も無いだろう、と。
各種様々な考え方があるのは分かりますが…。
そもそも、何を持って「政教分離と成すか」という所が各人バラバラで明文化、慣習化されていないのが問題ですね。
だからこそ、わくたまさんと自分の意見が食い違っているんでしょうけど。
出るかどうか分かりませんが、最高裁で「何をもって政教分離とする」という判例を出してもらえれば解決はするんでしょうけど。
>>>● 靖国神社参拝は宗教行事ではない。政教分離に反しない。
>>政教分離に反していない。
>多分、ここの溝だけは埋まりそうにないですね(笑。
>でもそれでよいとも思います。
>それに、国民感情的にもアレに「政教分離」は言い過ぎといのは、
>バランスの取れた意見だと思います。
>私もそういう意見があるだろうとの前提で、
>幕引きのための妥結案を提起したつもりです。
妥協案ですか…。
自分としては議論をしたいだけ(?)なので、妥協と言われても意にそぐわない面があります。
お互いがお互いの言っている事、主張している事を理解する、という意味での妥協なら望むところですが。
まぁ互いの前提が異なっている時点で解決(決着)できる問題ではないのは肌で分かっているんですよ。
ですが、「政教分離とは何か」、
そしておそらく決着のつかないであろう「宗教とは何か」。
多分、ここが日本人各人の濃度が違うんでしょう。
だからこそ、敢えて噛み付いた(?)んですが…。
>まず、裁判所に「職務行為」と認定された時点で政教分離の問題です。ただし、靖国神社への参拝が宗教行為かどうかはまだ確固たる判決は出ていません。ただし1件、政教分離に反するという違憲判決が出ていますし、靖国神社が宗教法人として認定されていることからも、「宗教行為でないことが明白」とはとても言えないでしょう。
靖国神社への参拝が宗教行為かどうかの判決が出ていない、という事ですが、
だったら先祖の墓へのお参りはどうなのか、(キリスト教信者の)教会へミサなどに行くのはどうか、というのも問題にされてしかるべきでしょうね。この点を差し置いて「靖国参拝はダメじゃねーの」という突っ込みは成立し得ないと思います。
また、一般的には日本は檀家制度がありますので、そちらもどうよ、という事もあるでしょう。
っつーか事の発端は「アサピー」が靖国神社参拝はどうよ、と中国様経由で言ったのが始まり、と言われてる時点で議論の価値すらない、と言えなくも無いんですが。
>また、政教分離を厳密に考えるなら、そもそも靖国神社がこれだけメディアに露出する機会を国がつくっているだけでも十分に問題なのです。メディアへの露出の結果、靖国神社への参拝者が増え、そして寄付が増えたなら、国が特定宗教法人を利する状況を作ったことになるわけです。さらに宗教法人の収入のほとんどには税金がかからないわけで‥‥。上手くすればちょっとした政治資金の還流構造を作れるわけです。むしろ多くの宗教家はこの点を問題視している向きもあります。
ちょっと自分の意見は違いまして、「靖国神社がこれだけメディアに露出する機会を国がつくっているだけ」というのは、主従が逆だと思います。昭和30年代とか40年代だかは、政治家が靖国神社に行った事は報道されない時期がありました(と何かの本で読んだことがある)。
というよりも、マスメディアが大々的に報道しているからこそ国民の目に触れてやいのやいの騒ぐ(訴訟する)勘違い人種な方がおられるわけで、自分の感覚としてはYahoo!Newsの「首相動静」程度に入るレベルの内容と思っています。
>あと、私は唯物論者ですが、この論を確かにするにあたっては、仏教やキリスト教がどのように発展してきたか、またどのような思想背景をもつか等はそれなりに勉強しています。それ故に、宗教・思想が政治に関連する弊害についても非常に小うるさくチェックしています。例えば、アメリカなどはちょっとした油断の隙にキリスト教原理主義が台頭し、危ういバランスの元に成り立つ国家になってしまったわけです。
自分は宗教というものを歴史のレンズから見てるだけですので、何ともいえないんですが、宗教の危うさはある程度把握しているつもりです。十字軍遠征、異端諮問会による土着宗教弾圧、キリスト教国教化による宗教弾圧などなど(ってもキリスト教関係ばっかかよ(^^;)
それはさておき、ちなみに自分は
「宗教ないし宗教的(日本教など;以下の雑文を参照)なものは人間の哲学・常識の芯と言える者で、これを切り離して社会生活は営めない」
「政教分離でいう宗教とは『組織化された団体が政治の場(公の場)で宗旨を主張する事』と考えている」
と考えています。
>そんなこともあって、私は政治から宗教・思想的なものを極力排除しようとしているわけです。
自分も政治の場から宗教(宗教団体)は排除すべきだと思っていますが、思想はどうでしょう?
いわゆる右派・左派など、そういった思考・判断の基準となるであろう思想は排除しようにも排除できないと思いますが…。
----------以下、28日分----------------
>これはつまり私的参拝という言葉に置き換える事が出来ます。
>公的の反語として私的という言葉がある以上、
>「公的も私的も無い」
>「公務とは関係無い」
>この二つの言葉は矛盾するような‥‥。
少し言葉が足りませんでした。
「公的・私的に関わらず、参拝したのは事実で(参拝客がどんな肩書きを持っていたとしても)一参拝者に変わりは無いだろう」という考え方です。
「公務とは関係無い」というのは、靖国神社参拝は首相の仕事とはまるで関係ないんだから、
「お前仕事してるのかよ」という突っ込みか
「プライベートだから気にするな」
のどちらかだよね、という事です。
法の下に人間(国民)は平等、と同様の考え方をしています。
というよりも、公的参拝・私的参拝という言葉自体に屁理屈を、もっと言うなら胡散臭さを感じており、
「そんなどうでもいい事にどうでもいい言葉を捏ね繰り回すより、他に建設的な事があるんじゃないか」とため息をついていたりします。
>> 政教分離に反していない。
>多分、ここの溝だけは埋まりそうにないですね(笑。
>でもそれでよいとも思います。それに、国民感情的にもアレに
>「政教分離」は言い過ぎといのは、バランスの取れた意見だと思います。
>私もそういう意見があるだろうとの前提で、
>幕引きのための妥結案を提起したつもりです。
『溝は埋まらない』というわくたまさんの意見はおそらくは正しいと思います。
お互いの考えている宗教という概念、
そしてそれがどこまで政治に介入していいか(すべきでないか)
という2点で根本的に考え方が異なっているのでしょうから。
では、自分の考える宗教、というものについて。
宗教とは何か。
簡単に書くと「神」がいて、行動の規範・戒律といった「道徳」を教え、それに従う事、と自分は考える。
つまり『常識』というものだ。
既成の宗教で言えば、キリスト教やイスラム教などがこれにあたる。いわゆる一神教だ。
ところが、日本では森羅万象に神が宿っている、と考えている。いわゆる多神教で「八百万の神」だ。その信仰があったからこそ、仏教が入ってきてもキリスト教が入ってきても、共存して生きてきた。
(不謹慎な言い方だけど)カソリック信者だった人がお寺で葬られた挙句に先祖代々のお墓(仏教)に眠らせるのは生涯首尾一貫してないじゃないか、と微妙に同情の涙を誘ったり、
仏教系幼稚園でクリスマスイベントを行うのはまぁ幼児を喜ばせるための方便として百歩譲るとしても、住職が率先してサンタクロースの格好(付け髭付き)をするのは言語道断というか、あからさまに仏陀様やキリスト様・マリア様にまとめて喧嘩売っているとしか思えなかったり、と
日本以外ではまず見る事ができない風景を見る事ができる。というか、信者から呆れられるか、ボコられる様が目に浮かぶ。
それほど、日本に入ってきた外来の宗教はオリジナル(起源)からかけ離れている。
海外から来た物は取り捨て選択し、消化・吸収する。これは何も技術や文化だけではない。宗教もそうだ。こうして日本人に根ざしている民族性を総じて、山本七平氏はこう言っている。「日本教」と。
日本教の例をとってみると、
戦国時代に来日した宣教師がいた。彼らは
「日本人は神の教えを理解してくれるが、(キリスト教を信仰しないと地獄に落ちると説いても)『ご先祖様が地獄に落ちてるなら自分も落ちないわけには行かない』といって入信しようとしない」
(日本人は教えを理解しても入信しようとしない)
と嘆いている。
どちらもどちら、という感じがしないではないが、イエス様だろうがマリア様だろうが八百万の中の一人、森羅万象に宿る一つの神、と認識していた事は間違い無いだろう。
また、日本では、結婚は神前で、葬式はお寺で、という奇妙な構造が今なお続いている。最近だと結婚は教会で、葬式はお寺で、というパターンが多いようだが。日本人から見たらそのパターンは奇異には見えないが、外国人からみたら、これほどおかしい話は無い。
某下級生2というエロゲーで、今カレに向かって元カレがこんなにイイオトコだった、と比較させられてブチ切れユーザを続出させるという偉業を達成したが、それと同様に
「お前どっちが好き(信仰しとる)やねん」と関西系外国人だったら間違いなく突っ込みが入る。
他にも、カソリック系や仏教系の中・高校の存在がある。そこに入学する学生の大半は「その宗教だから」というわけでもあるまい。その学校に通って熱烈に信者になりました、とか、カソリックの学校だから通いました、と言う話はついぞ聞いた事が無い。
自分の地元、長崎県は佐世保市にもカソリック系の女子中・女子高があったけど、「(その女子高が)嫌なら何で入ったの?」と聞いたら「県立に入れなかったからエスカレータで入った」だって。
「それはどうよ」という感じがしないでもないけれども、まぁ一般的な日本人だったらそんなものだろう。
また、仏教系の男子校に逝って「(若い女性を見なくて)暗黒の3年間を過ごした」と本気で悔やんだ人もいた。経文読まされるより「女性がいなかったのが…」と半泣きで語ったその口には同情の涙を禁じえなかったけど、「やっぱり異性が先かよ」という突っ込みはさすがに出来なかった。だってその時は遠距離とはいえ彼女いたんだモン(涙)。
っつーか今だから書くけど、仏教系の高校逝って経文書いてきた人間が、先端技術を学ぶ(のかもしれない)工業大学に入るってのはさすがに紆余曲折ぢゃね?
そんな事はどうでもいい。話を戻そう。
歴史的には、政教分離を打ち出したのはアメリカが先だ。
これには歴史的な背景がある。当時アメリカが植民地だった時代、アメリカは食い詰め物の集まる場所だった。そこにはカソリックもいればプロテスタント、英国国教会などが乱立というか、無秩序にあった。
簡単に、というかぶっちゃけていうと、入植時のトラブルやら宗教的心情の対立から「お前ら嫌いじゃぁぁぁ」とブチ切れたものの、イギリス本国が税金を上げると言い出した事から一致団結、アメリカ独立戦争でイギリスから独立を勝ち取った次の瞬間に「宗教でモメるの止そう」と大人の対応を見せたのが始まりだった。端折りすぎて自分でもすげぇ事書いているのに気が付いたので、あまり深く信用しないように。
そういう宗教上の対立から生まれて政治(政体)を興したいきさつがあって、アメリカでは「いかなる宗教にもキリスト教以上に優遇措置は与えない」としている。
ところが、日本では状況が異なり、戦後に政教分離の概念が導入された事、宗教での対立が起き得ない事から、
日本とアメリカの政教分離の考え方が違う。
アメリカ大統領は、その就任式には聖書に手を当てる。
だが日本には、明確な宗教的儀式が無い。
おそらく、この行為が「政教分離」とはいかなるものか、を物語っている。
アメリカではキリスト教に則って、政治を行っている。
日本では、靖国参拝で公的参拝だ、私的参拝だ、で周囲が騒ぐ。
自分が思うに、それで騒ぐ人は「宗教的なことは一切するな」という観点から行動していると思う。
だけど、自分は「人間には宗教(日本教を含める)が必要であって、その人がその人たるには宗教的な『儀式』は必要だ」と考えており、完全な意味での政教分離は不可能だと思っている。
多分、わくたまさんとの相違はそこだろう。
ちょっと雑文になったけど、ここまで。
改めて書き述べます。