当会としては初めての試み、朗読を中心に据えた会でした。

 第一部はシーレ布施詩集『ネオの詩』(2021)から前半の作品を、日高由貴さんのピアノ、齋藤佳津子さんの朗読で。

 お客様はおそらく現代詩になじみのある方のほうが少ないぐらいでしたし、この詩集自体が直線的なストーリーや具体的で明快な事件や感情の描写があるわけではないので、全貌を確としてつかむことは難しかったのではないかと思います。(詩集を読んでいても、読むたびに像が移り変わるのを感じます)

 

 しかし、断片的な言葉のきらめきや、「ぼく」が「ネオ」に呼びかける言葉の角度を感じ取り、それが心の中に堆積していくことを感じた30分余だったのではないでしょうか。

 しかも、言葉と声と、今回はピアノの響きが、まじりあってやってくるものですから、声質や音といった非言語的な感覚が研ぎ澄まされていく時間となったと思います。かすかに、中央に散らした草花から、ユーカリやバラの香りが立ち昇っていたかもしれません。

 

 第二部は上念、お客様から近藤太一さん、シーレ布施、齋藤さん、日高さんのオープンマイク。

 上念は詩作はしないのでかつて書いた評論の中から一段落ワンセンテンスという異状に長文なものから一部分。
 近藤太一さんは自作の詩を。平凡な言い方で恐縮ですがユーモアとペーソスにあふれた刺さる詩で、大好評。
 シーレ布施は、第一部を聞きながら書いたという新作ほやほやと、最近某誌に寄稿した詩を。ほやほやの新作のレベルの高さに、言葉を失いました。
 齋藤さんは坂村真民の作品を座右の銘のようなと言って紹介。
 日高さんにはみんなで無理を言ってアカペラでCD『虹色の小舟』収録のShenandoh、これには聴き惚れました。

 それぞれの詩作のきっかけや「少年性」についてのインタビュー、今日の全体の感想などをいただき、ご参加の皆さんに詩というものが出来上がる不思議のようなものを少しわかっていただけたように思いました。

 

 会の最中に、あ、これは貴重な時間を経験しているな、と思った瞬間がありました。何と言えばいいのでしょうか、個人の小さな体験の中でだけかもしれませんが、この場と時間は人間の歴史をつくっている、と思いました。願わくは、こういう時間と場をたくさん持ちたいものです。