第1回読書会では取り上げなかった作品ですが、『する、されるユートピア』の冒頭に置かれた「川をすくう手」についての、上念のメモを置いておきます。

■川をすくう手
 教室に大勢の生徒がいるのに、孤立感、孤島感があるということ。それは自分の外側に対してひんやりした感じを持っているということではないか。この第一段落を、絵に描いてみたら、とても印象的な作品になるだろう。自分のいる島がきれいならとは言っていないことからも、この主体の心持ちがよくわかる。そのわけを、第二段落以降でとつとつと断片的に語っていく作品。
 封筒のことはとても具体的なので、ちょっと驚く。きれいな島からの落差がある。だから、第一段落の気持ちが、リアルで切実だということがわかる。島から一人ずつが入れ替わりで封筒を受け取りに行くことを想像すると(他の島の人は受け取りに行かない)、本当に「きれいな島ならいい」と思う。
 いきなり景色が変わって保健室に移る。主体が保健室通学者であるらしいことが想像されるが、それについてはふれられていない。あまりそのことを主体は気にしていないか、気にしてほしくない。この段落の最後で「また会える」と言っているのは、誰にか。次の段落からすると、母にか。
 具体的な地名が出てくる。母親が入院しているという事実もわかる。そのことから少し意識をずらせて、手すりの汚れについての感覚や売店の観察がクローズアップされるが、これは本当に気になっていることからあえて気を逸らせているのではないかな。と、守られるべきだった、笑ったっていい、という気になる言葉が続く。
 主体は見舞い客というよりは家族なので当事者性が高く、見舞い客の子供のような無邪気さは、年齢的にも、ないのだろうが、パタパタ言わせているのが楽しそう?で笑ってもいいような軽快な音だということを認識している。自分はあの子供のように(保護者によって)守られるべきだったのに、皮を剥がれて寒空にさらされているように、何物にも守られていないと認識している。もう無邪気に笑うような存在ではありえないことを、痛惜しているようだ。
 武庫川沿いに病院は多い。大きいから見えるというほどなら市立中央病院(6階建て
)も見えるのかもしれないし、西宮市内だけでも関西労災病院(10階建て)、兵庫医大病院(13階建て)が大きい。
 いつか失くすと認識しているのは、命なのか、若さ(元気さ、速さ)なのか、いずれにしてもそれが失われることを認識しているというのは、あまり普通のことではないように思う。彼の傍らに、死や衰える身体というものがあればこその認識だろう。そして彼は泣いていた。泣いていることを知られないために(他人にも、そして自分にも)階段を全速力で駆け下りたのだということがわかった。
 泣いているのは、母の病気のせいだと考えるのが早道だろう。が、そんなに直線的ではないかもしれない。母の病いという現実に直面していながら、向き合わずにいたり、受け入れようとしなかったりしている自分(かどうかはわからないが)に対する苛立ちも混じっているかもしれないし、何もできない自分(と思っている)に対する腹立ちかもしれない。
 同じ道…何と同じなのか、わからないが、いつもと同じということか。新幹線を見に来るというのは、一般には西宮市上甲東園の山陽新幹線記念公園。労災病院や兵庫医大病院より上流にある。あまり拘る必要もないが、家よりも下流ということかもしれない。それを言えば、新幹線記念公演は線路を見下ろすので、橋を見上げるという形にはならず、全体をフィクションと考えないと辻褄が合わない。いずれにせよ、母との回想があり、過去と現在と待ち構えている近い未来が頭を行き交う。次は、ふいにというのは直接的には新幹線のことだろうが、次の事態ということとリエゾンしているから、次に今日の病院のことを思い出すことになる。視線が次々にあちこちをさまよっている。あの小さい窓から外を見て眠るのは、母か。とすれば、初めて母の視線が現れたというか、彼が母の視線で世界を見ているということが示された。
 消えていくものとは、何を指しているのだろうか。母のことだろうか。そんなに深刻なの? それとも、一般的に人はということ?消えていくなということがわかれば、その消失点がわかる、見えるということか。母のも? まだ泣いている気がする。

 平気な人たちと僕との対比。僕はまだ走っている。その速度と時間の感覚。一つのセンテンスの中に二つの状況が架け橋しているのが面白い。僕は平気じゃないようだ。なんとかしてやれないかな。

 タイトルの「川をすくう手」に返る。すくうは、救う、掬うと並べれば、後者だろう。川を掬ってしまうのだから、とても大きな存在かと思われるが、手と言ってもギリシャ悲劇の「神の手」デウス・エクス・マキナとは違って、超越的な存在とは思えない。母かとも思わないでもないが、母と僕をめぐる状況を掬い取るのだから、母の手というのではないとも思う。わからない。

 学校から病院、そして道と、場所が変化していき、通して流れている僕の感情は実は一貫しているようだ。強い作品だと思う。

 

(写真は兵庫医大病院)