私が鍼灸師になろうと決心したのは、

 
中学2年生の時でした
 
喘息・アトピー・花粉症・食物アレルギーなど
 
アレルギーをフルコース
 
で持っていた私は
 
当時、診察を受けていた医師に
 
『あなたは、もう一生治らない』
 
と言われました
 
『だから、病院に入院して、
 
    その中で生活したらどうですか?』
 
と言われました
 
それがきっかけで、両親と話し合う事になり
 
鍼灸師になる事を決めたのですが
 
それは、夢や希望というイメージとは
 
程遠いものでした
 
 
 
当時の症状は
 
喘息が出ると、横になって眠れず
(横になると呼吸が出来ないので、座って寝る)
 
全身ウロコ状に皮膚がかさつき、
 
痒くて色んな所から出血していました
 
痒くて痒くて、かくと出血
 
痒いのに「かくな」と言われるのは
 
ほんまに辛かった。辛いから、
 
私は一生、誰にも「かくな」と言わへん!
 
と、決心したほどでした
 
かさぶたで耳の穴は塞がり
 
髪の毛は、かさぶたと一緒になって束で抜けました
 
ステロイドの副作用で過食になり
 
体重は80キロまで増えました
 
道を歩いていると、前から歩いてきた人は
 
私とすれ違う前に、必ず道を渡ったし
 
当然、気持ち悪いとイジメる人もいましたが
 
仲良くしてくれる友達もいました
 
遠足や、修学旅行の前には
 
親と先生が話し合いをしてくれましたが、
 
それでも遠足はいけない事が多くありました
 
特に記憶に残っているのは
 
どうしても行きたかったパン工場の見学と
 
無理して行った生駒山登山。
 
パン工場は、結局体調が悪くて行けずでしたが、
 
親戚のお店に出入りしていた、
 
業者さんのトラックに乗せていただき、
 
後日行けました!
 
これは、母に付き添ってもらえたこともあり
 
私にとっては、良い思い出です。
 
生駒山登山は、珍しく体調が良かったので
 
自分から行かせて欲しいと頼んで行きました
 
登りはまだ良かったのですが、
 
途中から息苦しくなり
 
ヒューヒューと気管支が鳴り出し
 
みんなからかなり遅れてしまいました。
 
私に付き添わないといけなくなった、
 
若い男の先生が
 
「ほんまに、迷惑やねん。
 
 お前が動くと、人に迷惑かけんねん。
 
 頼むから、これからは行事の時は休んでくれ。」
 
と言いました。
 
その時の私は、ただただ申し訳なくて
 
「すみませんでした」
 
「すみません」
 
と、謝りながら下山しました。
 
私の楽しみは、本を読む事と食べる事に
 
集中する様になりました
 
 
普通に布団に横になって、まっすぐ寝たいなぁ
 
1日で良いから痒みを感じない日があればなぁ
 
かいても血が出なかったら良いのに
 
(↑制服のブラウス、枕カバー、シーツが
   いつも血だらけで、洗っても落ちなかったから)
 
そんな事を思いながら、
 
学生時代を送っていましたが
 
そういう本音は、誰にも言えませんでした
 
 
そんな感じで過ごしていた時に、
 
医師から一生治らないと言われた言葉。
 
実は、そんなにショックではありませんでした
 
自分でも、治るとは思っていなかったので
 
息苦しくない時間が、多くなれば良いけどな
 
という事以上、多くを望んではいませんでした
 
でも、母はとても動揺して(いるように見え)
 
父と母と私の3人で話し合いをしました
 
その時、出た意見が
 
①結婚は無理だろうから、
   親とこのまま一緒に暮らす
 
②親が死んだ後の生活は、
   出来るだけ自力でできる方法を考える
 
③通勤は難しいので、自宅で出来る仕事を探す
 
④できれば、何か資格を取る
 
でした。
 
図書館に行き、資格の本を読んでいて
 
見つけたのが鍼灸師という仕事でした
 
この仕事は、国家資格で
 
独立開業権(自宅開業出来る)があります
 
ハリもキュウも、どんなものなのか
 
全く経験もした事がなかったのに
 
私は鍼灸師になる。と決めました
 
鍼灸師になるための受験資格は、
 
高校卒業以上である事だけで、
 
内申点も関係なかったので
 
家から1番近い高校を選んで行きました
 
そして高校卒業後、鍼灸の専門学校に
 
入学したのですが、その専門学校で
 
私の人生を大きく変える出来事に遭遇します
 
また、それは別に書きたいと思いますが、
 
とにかく、私が鍼灸師になろうと思ったのは
 
「独立開業権があるから」でした
 
 
鍼灸師にあこがれたとか
 
東洋医学に関心があったとかいう
 
夢や希望を持ったわけではなく
 
ただただ
 
病気のまま静かに生きて行く
 
という消極的な目標の為に、
 
決めた事でした
 
 
そして暗に、結婚もあきらめて
 
親と一生、実家で暮らすという事も
 
中学2年で決めていたのでした
 
今思えば、何も積極的にしようとしていなかった
 
でも、発作が起こると息が吸えなくて、
 
思いっきり吸い込んでも、
 
ぜんぜん足りない量しか吸い込めず
 
次の呼吸の事しか考えられない
 
次の呼吸
 
次の一息
 
思いっきり吸えたら
 
それだけでいい
 
そんな時に「頑張れ」と言われると
 
めっちゃ凹みました
 
頑張ってる!!つもりだった
 
でも、振り返ってわかるのは
 
私は頑張る事をあきらめていました
 
息を吸うことすら、まともに出来ない
 
私に何も出来るわけがない
 
ただ、なだらかな道を選んで
 
ゆっくりゆっくり歩いて行く
 
静かに生きて、いつか死ぬ
 
そう決めた中2の1学期でした
 
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