して気持ちも落ち込み気味になってたので
またまた子授け神社
に行ってきました![]()
今日は
も休みだったんで一緒に行ってきました![]()
ウチの
神社参拝自体は良い事だとは思ってるみたい
ですが、色々なトコロに行きたがる
と違って
同じ神社に何回も行った方が良い。という考えの
方なんですね![]()
もちろん、その考えは否定しません![]()
・・・けど
は色んなトコロに行きたいの
それで満足するんだからいいじゃない![]()
という事でこないだとは違うトコに行ってきました![]()
っていっても前回行ったトコロと縁のある神社なんです![]()
こちらも
の近くなんですが
前回の荒穂神社に行った後、
で荒穂神社が何で
子授け神社と言われる様になったかが気になって
調べたんです
(神社やお寺に全く興味がなかった
ですが
不妊によってこんな事まで気になるなんて驚きです
)
よりHPの記事を載せます
長いので省略しつつ載せました。
八並長者は多くの武士と広い領土を持っていた。
しかし、世継ぎの子がいなかった。
ある日、長者は叔母から秋祭の招きを受けたので、
屋敷まで千両箱を並べさせ、長者はその上を歩いて行った。
玄関では叔母の息子が十二人と娘が十二人並んで迎え
長者をもてなした。長者は帰るとき叔母に
「立派なお子さんが沢山で誠にうらやましい。
千の倉より子が宝」というと、叔母は、お子供がほしければ
百姓をいつくしみ木の神さまをあがめなさい」といった。
それから、八並長者は農業を奨励し、百姓をいつくしみ、
特に荒穂神社をたいへんあがめた。間もなく長男が生まれ
翌年には長女が生まれた。長者の喜びはひとしおで、
荒穂宮に浮立を奉納され、いっそう百姓をいつくしんだ。
長女は美しいうえに、慈愛深かったから人々から
荒穂様の御配偶の木花咲耶姫の生れ代り
であろうと慕われたが、やがて筑後の柳河長者に嫁いだ。
ところが二年もたたぬうちに八並と柳河との間に戦が始まり
八並長者の軍が柳河勢を打破ったので、
柳河長者と奥方の仲が悪くなり、
ついに奥方は生まれたばかりの赤子と共に離縁になった。
奥方は止むなく生家の八並に帰ったが、
八並長者は「一度縁づいた者はもう八並の者ではない。
柳河の者だ。敵だ」と拒んだ。
あまりのことばに打ちひしがれた奥方は赤子をあやしながら
付近をさまよった。強くは言ったもののさすがに父、八並長者は
気懸りになり、召使にいいつけて娘の行先を見張らせた。
しかし、彼らはいつの間にか娘を見失ってしまった。
一人の召使がやっと探したのは丘の古井戸の中から
赤子の泣き声と、それをあやす女の声だった。
これは不思議と綱を伝って井戸の中に入ってみると、
明るく輝いた井戸底には、見るもまばゆい金色の観音が
幼児を抱えて鎮座していた。その観音の顔は八並長者の娘だった。
八並長者は娘の死を悲しんだが観音となって現世に現れたことをあがめ
その丘に観音堂を建てた。それが今日の太田観世音だという。
子のない人には子を授け、乳の乏しい人には乳を与える
という信仰の人々の参拝が今も絶えない。
という伝説があり、太田観音が気になり今日
行ってみたんです![]()
こちらも荒穂神社同様住宅地の中にある
小さな神社でした。
旦那と並んでしばらく手を合わせ![]()
お参りしてきました

