いわゆる「日常の謎」系ミステリー。書店にあふれかえり、しかも、在庫の売れ行きがよくなくても、毎月、同じジャンルの新刊がお目見えするのが当たり前な現状。

  近づくのはよそうと決意していたのに、ついつい、某「かなり有名なシリーズ」を読んでしまいました。たぶん、ハルシオンを飲んで、半睡状態だったため、「寝る前の1冊」として、積読のなかから「表紙がきれいなヤツ」を無作為に手に取ってしまったものと思われます。

  ここで、話はそれますが。知ると怖い、知らない方がもっと怖い「お薬」の話を多少、いえ、大々的に長文で。

 

:脱線パート。薬物中毒に全く関心がない、という方は読み飛ばしてください。

眠剤について。ハルシオンは著名人のOD例が多発、そのせいでイメージが悪くなったのか、近年、処方されることが減ったお薬だと思います。しかし、服薬を「ものすごく」間違えなければ、安全かつ効果が高いお薬です。しかも、即効性が高く(服用後、10分もあれば熟睡まっしぐら。私の場合は、通常、数分もたたずに寝付いてしまいます。ベッドまで持たずキッチンマットの上で寝入ってしまったことがありました)、眠りが深いのに後を引かず翌朝はすっきり目覚め、依存性もないスグレモノ。比較すると、処方箋なしで薬局でかえる「〇リ〇ル」「ス〇ーピ〇」などの方が、実は危険。これらは「補助医薬品」と思われがちで安易に服用する人が少なくないのですが、これらの「薬」の主成分は「ジフェンヒドラミン」。市販の総合感冒薬はこれを配合しているケースが多いです。依存性が高く、中毒に陥ることもあるのですが、強い「多幸感」をもたらすため、「イヤなことを忘れたい」「とにかく気持ちよくなりたい」ために大量服用する人が多いのです。なかでも、薬物依存症の回復・予防を目的とする「ダルク」などの互助組織で問題視されているのが、隠語で「金パブ」と呼ばれる薬。名称を公表するのは控えさせていただきます。「怖い」と感じた方、気になる方は

「金パブ」「金パブ中毒」「パブ中」などで、検索してみてください。たくさんの中毒例がズラッと出てきます。

 風邪をひいて、頭が痛い、熱がある、喉が痛い、でも医者にかかるほどではない、という場合は「イブA」「ナロンエース」などの痛み止めを飲んでください。主成分は、鎮痛・解熱作用が高い「イブプロフェン」。医者にかかっても、たぶん、薬名がちがうだけの同じ薬を処方されます。ほんとうは「ロキソニン」が非常に効果が高いのですが、主として消化器系の副作用が頻発。最近は、あえて処方せず、イブプロフェンに戻ったという医者も多い現状です。

:脱線終了

 

 さて、その文庫本ですが「日常の謎」にジャンル分けされており、しかもシリーズ化していると思います。舞台となるのは、もはやテンプレのようなものですが「喫茶店」です。

 まず、パターンどおりプロローグでスタート。サービス精神のあるミステリー作家さんなら、ここで「軽めの謎」をふっておくとおもうのですが、単にボーイ・ミーツ・ガールで終わります。本編で登場する謎は、というと、「テーブルに並んだ角砂糖とコーヒーシュガー。探偵は見てもいないのに、なぜワトソン女子が角砂糖を選んだことが解ったのか」みたいな感じ。連作短編集なのですが、これでもまだ「謎している」エピソードです。

  謎も解決もなく、単に中年夫婦の夫婦ゲンカを仲裁するだけ、などという話もあります。ちなみに、一番長く、作者さんもリキをいれたであろうと思われるのが、この「夫婦ゲンカ」エピソードです。一番、ミステリーっぽいのが、妻を亡くした若い男からの依頼。出産時に妻は死亡。生まれた赤ちゃんが泣き止まない時には、妻の幽霊が赤ちゃんをあやしに来てくれていたのに、その妻の幽霊が消えてしまったのはなぜか、というもの。「消えた」ことよりも「幽霊になって育児した」ことのほうが、はるかに重大な謎だと思うのですが、「幽霊出現」「成仏せず」に関しては、夫は完全スルー。というか、ネタバレ覚悟で書いちゃいますが、「そもそも妻の幽霊」は完璧、夫の誤認、というか思い込みに過ぎないというもの。この時点なら、ミステリーとしては十分、許容範囲です。なぜ夫は幽霊を「見た」のか、「見えなくなった」のはなぜかという深層心理的なミステリーが成立しますから。現に、知念実希人さんの「天久鷹央」シリーズの多くは、この点から「真の解明」が展開されるミステリーです。しかるに、この作品は「幽霊が見えていたのは夫の思い込みでした。幽霊はいなくなったのではなく、もともと、いなかったのです。QED」で、次エピソードが始まります。

 

  そもそも「日常の謎」とは、本来、どのようなものだったのか、と振り返ると。

、 1989年の早春、突如ミステリー界に降臨した「日常の謎」系ミステリー。「人が殺されない」「日常のふとした違和感が謎になる」タイプのミステリー。

  最初に降臨した記念すべき作品は、言わずと知れた北村薫大先生の「空飛ぶ馬」。

  二番手が加納朋子さんの「ななつのこ」と思われがちですが、これも誤解。若竹七海さんの「僕のミステリな日常」のほうがわずかに早いです。

  もはや書店に行けば「日常の謎」にぶちあたる現状からは想像しがたいですが、「空飛ぶ馬」はまさに、エポックメイキングな作品でした。「人を殺さなくても、大窃盗や銀行強盗をしなくても、ミステリーとして成立するんだ」という、まさに「コロンブスの卵」、「目からウロコ」状態です。

 

  そして、エンタメ界でも、この「新」ジャンルに関しては、歓迎ムード一色でした。おりしも「新本格」ミステリーの登場と時期がかさなりますが、書評家さんたち、ミステリー評論家さんたちの半分以上が「新本格ヘイト」を公言、「十角館の殺人」はミステリーの新人賞だったら、一次選考もとおらない稚拙な作品、などなど煽りまくっていたことを考えると、「異様なほど歓迎された」と言っても過言ではないでしょう。「新本格だいきらい」宣言をなさって「この世の春」であるかのようにハイだった某関口苑生さんも、「日常の謎」に対するアレルギーはなかったごようす。

 

 ただ「空飛ぶ馬」を「日本で最初の重犯罪なし」のミステリーというならまだ許容範囲なのですが(いや、許容できないかも。古くは香山滋さんのミステリー群、とりわけ名作と評価が高い「月ぞ悪魔」も重犯罪なし、だったと思うのですが、思い違いかもしれません。あと、泡坂妻夫さんのミステリーのうち「しあわせの書」「湖底のまつり」では誰も殺されていません)、「世界的に画期的な試み」というのは持ち上げすぎというか、はっきり「あやまり」です。少なくとも、有名どころでは大々先生アシモフ様の「黒後家蜘蛛の会」や、アガサ女王様の「パーカー・パイン氏の事件簿」の半数、パイン氏がミステリーではないといっても「謎のクィン氏」の連作集がありますから。それ以前にチェスタートンの諸作も、怪しいという記憶があります。

 

 そのあたりの是非の検証をはじめるときりがありませんね。

 世間的に認められると、後続作品も書かれるようになります。「殺人無し」ということなら西澤保彦さんの「麦酒の家の冒険」も範囲内ですし、米澤穂信さんの「古典部」「小市民」両シリーズは、はっきりと「日常の謎」です。ただ、このジャンルで「良作」を書くことのたいへんさも、作家さんたちは心得ていて、「とりあえず、日常の謎でも書いちゃおうか」という雰囲気はかいむでした。なので、このあたりから、初野晴さんの「ハルチカ」、倉知淳さんの「猫丸」、青井夏海さんの「あかちゃん」、北森鴻さんの「香菜里屋」、田中啓文さんの「ジャズ奏者」くらいまでは、ほんとうに、ハイレベルな作品の勢ぞろいでした。(松尾由美さんの「バルーンタウン」は?と思いかけたのですが、これは、けっこうバンバン人が殺されていて、「コージー・ミステリー」側でした。)中でも、若竹七海さんに関しては「僕のミステリな日常」の作者というよりも、20世紀に残ったままの謎、迷宮入り実話である「五十円玉二十枚の謎」の「謎の提起者」として高く評価されている、というのが実情だと思われます。

 

  今のような「日常の謎たたき売り」状態になった契機は、三上延さんの「ビブリア古書堂」が折り返し地点となったのでは、と感じます。「ビブリア」そのものは「謎」そのものも魅力的で、「深すぎない」ウンチクの配合も巧妙、ミステリーとして秀作であることは確かなのですが、その後刊行された岡崎琢磨さんの「珈琲店タレーラン」に道をひらいてしまったのは、「功罪」でいうなら「罪」だと思います。

  「タレーラン」こそは「魅力的な謎は『日常の謎』に必須ではない」という「誤認」を広めてしまった作品だと認識していますので。また「秀作でなくても、低評価でも、『日常の謎』で探偵役が固定していればシリーズ化してもらえる」みたいな暗黙のお約束を成立させたのも「タレーラン」に他ならないとも思っています。「タレーラン」の1作目を読んで「あまりにも面白くない」ことに驚いた私ですが、さらに驚いたのが一般的にも「面白くない」「主人公が好きになれない」「人の話を平気でさえぎるヒロインは、さらに好きになれない」という読者さんの声が圧倒的多数だったこと。その上、ダメ押しに驚かされたのが「こんなにもマイナス要素があるのに、数巻にわたってシリーズ化されている」という事実。宝島社のごり押し、「このミス」ブランドのネームバリューがあればこその長期シリーズ化だったわけですが。

 

  追い風となったのはライトノベルを刊行している大手出版社が、「ライト文芸」というジャンルを掲げ、そのための文庫のレーベルを立ち上げたこと。これが、「日常の謎」系作品にとっては、かっこうの受け皿になったことは、現在、大き目の街の、そこそこ品ぞろえの良い書店の棚をざっと眺めれば、一目瞭然だと思います。小学館文庫をおいていないのに、ライト文芸の「小学館キャラブン!」は新刊がもれなく並んでいる。そんな書店は少数派ではない現状です。

 

  とにかく、「日常の謎ミステリー」は来るもの拒まずの状態になり、探偵役も定番の「カフェの店長」にはじまり、学生、社労士、経理のOL、料理学校の先生など、「探偵をしていない職種」を見つける方が難しい状態。刊行サイクルが早い、つまり作家さんたちは早書きを要求されるので、それなりの作品しか書けないというのが実情だと思います。

凝った魅力的な謎を練り上げるだけの余裕があるのか、疑問です。

  そして、問題なのはライト文芸だけでなく、一般エンタメでも「日常の謎」のハードルが下がる一方だということ。とある実績が高いミステリー新人賞の受賞作のエピソードのひとつに関して広まっているウワサですが、その「日常の謎」として取り上げられている謎が「高校生Aくんの靴箱のスニーカーにラブレターをいれた女子はだれ?」という、もはや推理する必要もないレベルのものだった、という件。笑いのネタ状態ですが、ネタにして終わり、だと次はもっと謎ならぬ謎、どうでもいい話が出てくるだけだと心配です。

 

  ちなみに、初期の「日常の謎」は、重犯罪こそ起きていないものの、「悪意」が書かれている作品が多かった、という事実も顧みる時期にきていると思います。たとえば「空飛ぶ馬」収録の「砂糖合戦」。少女たちの悪意を否定するのは不可能ですし、彼女たちの不可解な行動は、はっきり「偽計業務妨害」です。田中啓文さんのシリーズのあるエピソードでは「著作権侵害」が探偵役によって暴かれますし、「僕のミステリな日常」では「殺意のない毒物混入」および「傷害未遂」があかされます。米澤穂信さんの「小市民」シリーズでは、放火、殺人未遂という重犯罪が起きている上、物品詐取レベルの犯罪に関しては枚挙に暇がない、と言えるほど。

 

  「謎にブラックなウラなんてなかった」「かかわったひと、みな良いひと」「害意なんて書けない」と主張するかのような作者さんたち。

  「日常の謎」とはいえ、いえ、「日常の謎」だからこそ、「闇」を思ったことのない人に書くことができるのか。

 

  今、この現状を受容してしまった今こそ、米澤穂信さんの「夏期限定トロピカルパフェ事件」を、「書く人」「読む人」のどちらも読みなおす必要が高まっていると思います。