高橋祐一さんの「復讐の聖女」(角川スニーカー文庫)

 

 15世紀のフランス、ルーアン。「聖なる乙女ジャンヌ・ダルクを焼き殺した町」という呪いにとりつかれた町で今なお、くらしている青年ギヨーム。彼は、3年前のジャンヌ・ダルクの裁判で書記官を務めました。もちろん、30歳にもみたない一介の書記官に、判決を左右する力などなく、そもそも裁判で発言するする資格さえありません。しかし、英仏百年戦争も終盤に差し掛かり、イングランドの敗色が日に日に濃くなっていく今も、ギヨームは後悔と罪悪感に苛まれていました。自分もまた、ジャンヌの刑死に加担した罪人のひとりである、と。

 そんな彼の前に現れた年若い修道女クロード。彼女は、顔を隠していたマントをはねのけます。その正体は、3年前に死んだはずのジャンヌ・ダルクでした。その手に輝く光の剣が一閃。ギヨームは首をはねられます。

 しかし確かに死んだはずのギヨームは、いつの間にか生き返っていました。驚く彼にジャンヌは語ります。ジャンヌの過去、具体的には初の敗戦となったパリ奪回戦のかげには、裏切り者がおり、ジャンヌに偽の情報を伝えたこと。その裏切り者のせいで、ジャンヌは死への罠にかけられたこと。3年の時をへて、その裏切り者が誰か突き止め、復讐をするために自分が蘇ったこと。真実を知るためには、ギヨームの特殊能力「死者に真実を語らせる力」が必要だということ。ギヨームは現世の地位や生活を捨て、ジャンヌの復讐の旅に同行する決意をします。

 はじめに向かうのは、ジャンヌの力によって「正統のフランス王」として戴冠しながら、イングランド軍に捕らわれたジャンヌの身代金を払わず、結果として彼女を見捨てたシャルル7世と、終始ジャンヌに敵対的だったフランス高官トレムイユの住むシノン城でした。

 

 

 氷桃甘雪さんのラノベ・ミステリー「六人の赤ずきんは今夜食べられる」を読んで、その世界観とミステリーとしての面白さに魅了された私。

https://ameblo.jp/eseseve10/entry-12431188150.html

  目下、メフィスト賞受賞作&鮎川哲也賞受賞作、論創社や国書刊行会刊行の黄金期海外ミステリーと並行して、ライトノベルのミステリーの傑作を読み漁っています。「六人の赤ずきん」は、いわばライトノベルなればこそ、その世界観や設定が活きていたとも言える作品。極近のラノベ界はようやく「異世界転生・俺つぇぇぇ・チート・ハーレム」作品や、「ぷちグルメ飲食店」もの、「友好的・身近妖怪・神様」ものから脱出しつつあるようで、異世界といっても「異世界スローライフ」「異世界帰還」方向にシフト、そして長く書き継がれてきた「異世界戦記」の台頭、といった傾向にあるようです。そんな中、確実に増えているのが「ミステリー」と「ヨーロッパ歴史小説」の流れ。「歴史小説」系はコアな時代を扱って打ち切り、「男性史実人物の少女化」に失敗など、迷走中のようですが、「ミステリー」は、専門ムックで特集が組まれるほどのジャンルに成長。探し甲斐がありそうです。

 

  まずは、軽く肩慣らし気分で、このジャンルの草分けともいえる上遠野浩平さんの「殺竜事件」を手に取ったのですが・・・・・・いきなり難解! 竹本健治さんの方が読みやすいというレベルの、こてこてミステリー。肩慣らしどころではありません。

 

  ということで、「このミス2019」の記事を再読してチョイスしなおしたのが、歴史小説を得意とする高橋祐一さんの「復讐の聖女」です。

 

 ラノベ歴史小説としては、まずは「無難な」出来映えと言ってよいと思います。歴史考証もそこそこ、キチンとしていて、たとえばシノン城が、ヴェルサイユ宮殿のような「宮殿」や16世紀以降に建てられた優雅な城館だったり、という種のトンデモ歴史は描かれていません。貴族たちの宴席で、「まな板皿」が使われ、個々の客ように料理がサーヴされない、という描写も考証として正しい。しかし、見方を変えると、時代考証の正誤が問題点となるほど、15世紀の時代背景や生活に関して深く描かれているわけではない。その点で、いささか物足りなさがあります。

 

 ミステリーとしてはどうか。

・冒頭の謎→〇(ジャンヌ殺しの犯人=イングランドの貴族ベドフォード公でも、フランス聖職界の巨魁ピエール・コーションでもない、という視点は目新しいといえる)

・ミスリーディング→△(途中、え? まさか、あの人が犯人?というミスリードがある。しかし、世界史に相当詳しくないと、意外性がわからず、ひっかかるどころか、カスリもしない)

・意外な犯人→×(ほとんど予想どおりです)

・動機→××(現代ミステリーでも陳腐化している。陳腐化の始まりは天童荒太さんかな、と)

・推理展開→×××(そもそも、「推理」していない)

・伏線→×××(存在しない)

・探偵役→××(ジャンヌは探偵役ではないので)

・ワトソン役→△(探偵がいないのにワトソンがいる、という不可解さは置いておくとして。ギヨームのキャラは人並み以上の魅力がある)

・重要ポイント!ノックスの十戒遵守→××(中国人は登場しないが、他は八方破れ状態)

  と、まあ、ざっとこんな感じです。

 

 ジャンヌは、真実を告白させるために「容疑者」たちを、ひとまず殺していくので(ギヨームの尋問能力が発動するのは「死者」が相手の場合にかぎるという、不便設定)、ある意味、ジャンヌを殺人者とする倒叙ミステリーとして読んだ方が面白い・・・・・・・・・・・かもしれない。その場合、なぜ殺すのか、という点で裏の動機が存在するので。

 

  ふつうのエンタメとしても、ジャンヌに従う少女オーヴィエットは登場させる必要があったのか、など、引っかかる点が多々あります。

  また、この作品に限らず「フィクションとしてのジャンヌ・ダルク」は、そのほとんどが美少女設定ですが、この点はおおいに疑問視されているところ。史実のジャンヌは、がっちりタイプの丸顔健康優良娘だったというのが、実は現在では通説です。

 「ラ・ピュセル」とは、「乙女」「処女」という意味であり、「聖女」ではない・・・・・・など、いつもながら細かいことが気になってしまう作品。特に吉川トリコさんの一読軽い、しかし実は緻密に考証された正確無比な歴史ラノベ「マリー・アントワネットの日記」の出色の出来栄えと、どうしても比較してしまいます。

 参考文献の「多さ」が評価されていますが、そのことごとくが、一般に流通している入門書、上を見ても教養書が限界という事実。しかもひとりの著者の複数の著書に偏っています。たとえば、「テルマエ=ロマネ」にしろ、惣領冬美さんのイタリアルネサンスをテーマにした「チェーザレ」にしろ、歴史マンガのほとんどが、洋書史料やイタリアの論文まで読みこんだ上で描かれていることを考えると、マンガとラノベの格差には著しいものがあると痛感させられます。ラノベ歴史小説は、ようやく1970年代少女マンガに追いついた、といったところでしょうか。

 

  しかし、本作が全く読む価値無しの駄作かというと、そうとも言い切れません。

 

  まず、なんといっても、岩本ゼロゴさんのイラストが素晴らしい!!! 特に、表紙イラストはトリハダもの。表紙買い、続出状態かと思ったところ・・・・・残念ながら書店の入荷部数は僅少で、平積み不可能なんですよね。 

  

  小説本体に関しては、本作の魅力=佳人ヨランド・ダラゴンの魅力、といっても過言ではないと思います。

  ヨランド・ダラゴンは実在の王族。シャルル7世の王妃マリー・ダンジューの実母、つまりシャルル7世の姑に当たります。フランス国中の名家のほとんどから見放されてジリ貧状態だった娘婿シャルルを、崖っぷちで支援し続け、ジャンヌ・ダルクを最初に支持した貴婦人。リュック・ベンソン監督、ミラ・ジョヴォビッチ主演の映画「ジャンヌ・ダルク」では、往年の美貌をとどめる大女優フェイ・ダナウェイが、気品にみちて優美なヨランド・ダラゴンを演じ、やはり強力な魅力を放っていました。

 つまり、誰がどう描いても魅力的になってしまうキャラと言ってしまえばそれまでなのですが、本作品のヨランドは「本来は正義だが、〇堕ちした貴人」としての部分が深く書かれ、一読、忘れがたい人物像に仕上がっていると思います。彼女に対するジャンヌの葛藤する敬愛と憎悪は、本書の一番の読みどころと言えるでしょう。