阿部智里さんのファンタジー「烏に単は似合わない」(文春文庫)

 

 人間ならぬ、しかし、通常は「ひと」の姿をしている八咫烏たちが住む異界、山内(やまうち)。日本の平安時代を思わせる世界です。

 今年は特別な年。日嗣の御子、若宮の后「桜の君」候補である東西南北の四大貴族の姫君たちが、后選びのために後宮、桜花宮に登殿するのです。

  東家の姫君、あせびは本来の后候補だった姉姫が病に臥せってしまったため、その代わりに急遽、后候補となった姫。漆黒のストレートロングヘアーが美しいとされる山内にあって、あせびは茶髪、しかも巻き毛の持ち主。しかし、そんな「欠点」など、問題にならない魅力があります。「東」に象徴されるのは「春」。あせびは、まさに春の陽光を思わせる、ふわりとした美しさ。そして、ずば抜けた音曲(おんぎょく)の才。人懐っこく、他の姫たちのみならず、女官たちとも打ち解けます。

 他の姫君は、というと。

 南家の姫、浜木綿(はまゆう)。「夏」を象徴します。さっぱりとした気性の、男っぽく大人びた少女。凛とした美貌。

 西家の姫、真赭の薄(ますほのすすき)。「秋」を象徴。紅葉を思わせる華麗な美少女。后レースの大本命っぽい。

 北家の姫、白珠(しらたま)。「冬」を象徴。一人だけ、ローティーンらしい。「雪の結晶」を思わせる、どこか儚げで可憐な美少女。なにか、秘密がありそう。

 といった顔ぶれ。

 四季の行事のおりおりに、若宮の来訪を待つ姫たち。しかし、若宮は一向に姿を見せません。まじめに后選びをする気があるのか。そんな中、若宮の手紙が、あせびのもとにだけ届いたとのウワサ。かすかな波乱の気配。さらに女官のひとりが、険しい山道から墜落して死亡。どうやら、事故ではなく、殺人らしい。犯人は誰? そして、すべての真相を解明する「探偵」の正体は?

 

 

 作者、阿部智里さんは、この作品で松本清張賞を受賞。史上最年少、20歳の若さです。

 この本を手にとったのは、このシリーズ5巻目の「玉依姫」の書影があまりに美しく、第1巻から読もうと思ったから。なお、1巻目である本書は、2巻めの「烏は主をえらばない」と裏表の関係になっているので、以下、2巻、まとめて読んだ上で、書かせて頂いております。

 

 このシリーズ、爆売れしているようですが、読了して感じたのは・・・・・・「そこまで傑作?」のひとこと。いや、むしろ〇作と言っていいレベルでしょ、これは。読書メーターの評価は高いけど、アマゾンでは、ほぼ〇作認定。

 

 まず、「烏に単は似合わない」ですが、物語構成が、はなはだしく破綻しています。前半は後宮お后選びレース、後半は一転、「本格もの」っぽいミステリーです。しかも、前半の視点人物であり主人公でもある、あせびが後半ではまるっきり端役。あるいは、これは〇〇ミステリーの仕掛けとして評価しろ、ということなのか。とすると、あるアマゾンのレビューに書かれているとおり、「いきすぎたミスリードのせいで、非常に不愉快な読後感」のミステリーだとしか言いようがないです。

 私はまだしも、前半で「気位、自己顕示欲の高い当て馬的ライヴァルキャラ」雰囲気満載で描かれている、あるいはそう誤解させるような表現がされている、某姫の本質がわかったので、読後感はまだしもなのですが、ミスリードされてしまった人の「悪い意味で、騙された!感」は、ハンパないと思います。

 

 ラスト間際でやっと探偵役が登場。ミステリーでこれってありなの? 「ヴァン・ダインの20則」はやり過ぎだとおもうものの、どうしても「ノックスの十戒」の呪縛から逃がれられない私からみると、ミステリーの条件的に疑問をもってしまいます。

探偵役の断裁の容赦なさ、鋭さに、感心する前に、完全に引いてしまいます。腹黒認定されてしまった「犯人」。特に、「おまえみたいなヤツ、マジ嫌い」とは、あんまりな言われよう。たとえ犯人であっても。

 ネタバレしないと、その「イヤな騙され感」を説明しきることは不可能なので、ネット上には、アマゾンも、読書メーターも、個人ブログやサイトもネタバレ満載です。うっかり見ないよう、ご注意ください。

 

 そして、驚くべきことには、この1巻ではシリーズ全体を通しての主人公が、モブキャラでしかない。名まえさえわからない。まさか、こいつが真の主人公なんて・・・・・見破れるわけないです。

 

 ただ、「カラスである必要は皆無。人間世界でも十分なのに、無理やり感が否定できない」という批判(メチャクチャ叩かれまくりです)に関しては、弁護しておきます。

 あの「殺人」は「被害者が人間だったら不可能な殺し方」なんです。

 

 「後宮もの」としてみると、世の中、もっと面白い小説があふれている現状。古くは須賀しのぶさんの「流血女神伝」の中盤はオスマントルコ風、宮乃崎桜子さんの「綺羅の皇女」は和風、篠原悠希さんの「金椛国春秋」、白川紺子さんの「後宮の鳥」は中華風、と「後宮もの」「王女のもの」の小説は枚挙にいとまがありません。

 もっとも、「八咫烏シリーズ」は実は1巻を除くと「後宮もの」ではないのですが。その点からいっても、シリーズ全体からみて、本作は必要だったのか。ただの「賞取り」のための作品だったのでは、と邪推してしまいます。

 「ラノベ」っぽい、いや、その表現はラノベにたいして失礼、とまで酷評する声もありますが、さすがにそれは・・・・・いえ、そう評されるのも、やむなし、かなと。

 

 それから、危惧されるのは、作家としての阿部智里さんの今後。あまりにも若くしてデビュー。そして、今のところ、書いた作品はデビュー作関連のシリーズのみ・・・・・・もう不安要素しか感じられない。

 近年「なるべく若いうちに」「できれば学生時代に」デビューを、と望む人が多い傾向にあるようですが、社会人経験なしで作家になってしまうということは、危険なことだと思うのです。出版社から見れば、「若いこと」に注目するのはデビュー時のみ。あとは、「10代でデビュー」でも「50代でデビュー」でも、関係ない。「長く書き続ける才能をもっているかどうか」がポイントなのです。50歳寸前でデビューした山本一力さんの成功例を考えてみてください。

 

 それにつけても、「八咫烏シリーズ」を通して、感嘆するのは各巻の書影の比類ない美しさ・・・・・・

 ぜひ、書店でご覧ください。