ロジャー・ゼラズニイの「影のジャック」(サンリオ文庫)

 

  自転の止まった、たぶん並行世界の地球。

  世界は、永遠の「闇」の中で、暗黒人が貴族として君臨する「暗黒界」、永久に日の光のもとにあり、人間を支配者とする「陽光界」そして、両者の狭間に緩衝材的に位置する「薄明界」の三つの地域に分かれています。暗黒界の暗黒人は魂を持たず、死んでも辺土の堆屍場の中からよみがえるのですが、そのたびに魔力が弱まり、やがて消滅してしまいます。

  そんな暗黒人のジャック、二つ名を「邪悪のジャック」と呼ばれる男は、暗黒界の頂点に君臨する「七王」のひとり。狡猾かつ知力にたけた男で、貴族のくせに盗賊を生業としています。ある日、ジャックは婚約者の父である不死大佐の依頼で、暗黒界の覇王でジャックの仇敵である、こうもり王の城から貴重な宝石を盗みだそうとします。その行く手を阻むのは、こうもり王。その傍らにはジャックの婚約者の姿が。こうもり王と腕を絡める婚約者。そう、ふたりは不死大佐も認める真の恋人同士であり、彼らは共謀して、ジャックを罠にはめたのでした。豪勢な晩餐をふるまわれたのち、ジャックは斬首されるはずでしたが、狡猾な彼は七王のひとりとして、彼の力が必要な状況を目眩ましとして現出。混乱に乗じて、まんまと脱走に成功します。

  すでに、ある強力な魔書を入手していた彼は、魔書に封じられた力の封印が暗号であり、暗黒界の魔法で解読することが不可能であることを知ります。「コンピューター」というものによって解読可能なことを突き止めた彼は、「科学の力」が支配する陽光界へ逃走。ある「大学」の教授として働きながら、魔書の解読を進め、ついに最強の魔法を手中に収めて、暗黒界へ。復讐劇が始まるのですが・・・・・・

 

 

  サンリオ文庫は1970年代末~1980年代初にかけて刊行された、文字どおりサンリオによる文庫群。SF文庫と名づけられましたが、ソフトSFやファンタジーの刊行、それも、埋もれていた名作の発掘に優れていました。アーシュラ・K・ルグィンのSFの翻訳の先鞭をつけたといっても過言ではなく、「ロカノンの世界」「辺境の惑星」など初期の作品群が刊行されています。

  ただ著名なSF作家の多くのSF作品は、ハヤカワ文庫や創元文庫に翻訳独占権がにぎられており、大手が翻訳を忘れた「無名の作品」を拾わざるをえない結果に。ところが、そのせいで思わぬ掘り出し物を探りあててしまうこともしばしば。

  ゼラズニイの作品としては知名度の低い「影のジャック」もこうして刊行されたのです。ところが、これが「指輪物語」がもたらしたファンタジーブームにのり、売上高も好調。それまで知られてこなかった「ファンタジー作家」としてのゼラズニイが注目を集めるようになり、「アンバーの九王子」に始まる「真世界アンバー」シリーズも紹介されます。このシリーズも、たいへんに面白いです、少なくとも前半は。後半は、好みを選ぶところでしょう。

 

 「影のジャック」そして「アンバー」シリーズの特徴、そして魅力は、なんといっても独特の哀感ただよう、それでいてヒロイックな作風。特に「アンバー」はケルト神話の影響を受けており、ローズマリー・サトクリフの初期の歴史ロマン、たとえば「王のしるし」のような秀作を彷彿とさせます。そして、荒俣宏さんの訳文が、典雅で素晴らしい。そう、「典雅」。昨今のファンタジーが忘れてしまった要素です。

 

 私が「影のジャック」を読んだのは、高校時代。SF好きな友人から借りました。なにしろ、まだ10代だったので、悪どい主人公ジャックより、その仇敵、暗黒人としての筋を通し、人望もある美形の青年貴族こうもり王のほうが、仲間たちでは人気がありました。

 それにしても、終盤、ヒロインのたどる運命に関しては・・・・・確かに限りなく美しいシーンなだけに・・・・・

 

 再読して思うのは、緻密に構築された世界観の素晴らしさ。

 今でこそ、たとえばラノベ「とある魔術の禁書目録」のように、科学と魔法が共存する世界観は珍しくないものとなっていますが、その現状からみても、「影のジャック」の科学と魔法の世界観は古びていません。特に「なぜか自転を止めてしまった」地球の謎は魅力的。それなりの理由のある世界観なのですね。

  また、暗黒界から陽光界に舞台がうつったときには、一種のカルチャーショック。なにしろ、怪しげな魔法が飛び交う「中世風世界」から、いきなり高層ビルが林立、コンピューター猛稼働中の現代アメリカ風の大都会世界。しかも、大学のキャンパスライフですからね。普通に女子大生や教授秘書とか、いるわけで。その大学の雰囲気が、まるっきり、UCLA。カリフォルニア大学ロサンゼルス校なんです。

 

 とにかく。

 読んで絶対に損しない秀作。

 最大の難点は「入手しづらい」こと。

 

 つい先日、ご紹介した「アトランの女王」といい、本作といい、このところ過去の名作ファンタジーに目がいってしまう私。

 つまり、それだけ近年の国内、国外のファンタジーの傑作に出会えません。阿部智里さんの「八咫烏」シリーズは、そこまで魅力を感じられないんですね。乾石智子さんのデビュー作で挫折したのは、かなり痛かったな、と思う今日この頃です。近作を読もうか迷います。

 

 それにしても、阿部智里さん、それほど優れた作家さんなのか・・・・・