私は学生時代、予備校や塾で教えていた。

 

キッカケは私が工業高校出身でそれなりの大学に

合格したことであった。

 

当時、皆が必死になって受験勉強をしていた中、

私は、必死に製図(建築)をやっていた。

進学の勉強なんて全くしていなかった。

そんな中、大学で法律をやりたいという気持ちが湧いてきた。

担任(京都大学工学部出身)に相談すると、

「難しい。設計事務所が決まっているから止めとけ。」といわれた。

確かに私のいきたいところは合格するのに難しかった。

 

必死に勉強をした。

大学と試験科目を絞り込んだ。

時間が無いからである。

 

皆が3年間、塾も含めて受験勉強をしている中、

私のやろうとしていることは確率論で言うと×に等しかったからである。

 

でも、決めたからにはやるのが私のモットー。

 

若かったこともあり、一日3時間の睡眠で一年間頑張った。

運も良かったのか、志望する大学に合格できた。

 

このことが今も私を支えることの一つになっている。

 

遊び代や学費を稼ぐために、皆がアルバイトをしていた。

私は時間給のいいバイトは無いかと探した。

そこで見つかったのが、予備校や塾の講師であった。

もう何十年もまえのことだが、

最初は一時間当たり1500円を貰った。

進学の方法が変わっているということで、対外の予備校や塾は私を採用した。

別の塾からオファーが来た。

一時間3000円を出すという。

時間を調整し、そこにも教えに行った。

何年かすると、それなりに実績を認められ、5000円になった。

最後は一時間の報酬が8000円にまでなった。

だから、当時の年収は600万円を越えていた。

30数年前の600万円は滅茶苦茶リッチであった。

 

教える時に絶対に守ったものがあった。

「ついてこれない奴は切り捨てる」

 

厳しいようだが現実はこれがないと、他に悪い影響を及ぼす。

だから、徹底した。

 

父兄の中には文句を言うものもたくさんいたが徹底してやり通した。

 

誰でも知っている有名な企業の息子や娘も教えた。

 

すごい経営者の子や孫はやはりすごいとも思った。

 

「人がやらないことをやる。」

大変だけど、これしかないのである。

そして、やれた人間が勝つのである。