精神的にも、肉体的にも、忙しくしていると、ふと、昔のことをふと思い出すときがある。

嫁さんと初めてデートをしたとき、子どもが小さいときの頃、自分が必死になって勉強したときのこと、などなど。

その時のことは、何故か今は全ていい思い出になっている。

しんどかったときもある。

でも、今はそれが懐かしく、いい思い出になっている。

人は、人生を送る上で、いろんな人と出会い(自分が成長した分、いい人と会える)、いろんな問題を解決し、いろんなことを経験している。

それが、当たり前なのかも知れない。

私は心に決めている。

「少しぐらいしんどくても、自分の長所を生かし、考えながら、前に進む」と。

止まっていても、始まらないし、進歩はない。

だから、少しあせりながらでも、前に進もうとしている。

でも、本当は、少しリラックスする”無我”の時間を持つことが、一番大事なことかもしれない。

まだまだ修行が足りないので、その境地にはなかなかなれないが。

 

『無我の中にこそ神があらわれる』

あまり焦っては幸福になれない。無我であれば神の智慧が導く。神の智慧の導くところ失敗することはあり得ない。神はみずからを自己表現したまうチャンネル(通路)として“無我の人間”を求め給うのである。自己表現の通路に「我」の歪みがあったら神そのままの表現が出来ないことになるのである。(谷口雅春著『新版 希望を叶える365章』より)