BEL AMER
ところで、、変な自慢?ですが
春
職場のパートナーさん・Mちゃんの新作アクセサリーは
軽やかなラベンダー・パープルとスモーキー・ピンクを組み合わせたネックレス。
ピンク系のアクセサリーを持っていなかったので、
ご本人が「会心の作」というそれを、遠慮なくねだってしまった(後で反省。。)
落ち着いたピンクだから、私でも身につけられる。
お花見のときはこれだな。
踏んだり蹴ったり
社員証が壊れた。
正しくは、社員証の裏面についているICチップを破損してしまった。
壊れそうだな、と予兆はあったのですが
打ち合わせで席を立ち、戻ってきたら・・・・部屋に入れない(=ICカード破損)
入退室ができなければPCログインもできず、コピー機さえも使えない。
今日中に調整必要な案件があったのに・・・。
代替カードを申請したけど、すぐには使えるようにならず
何かできる仕事からやろうと、検証用PCを取り出した。
・・・・・・・・・・動かない。
「昨日使ったけど、大丈夫でしたよ」とチームの派遣さん。
昨日動いたのにナゼ今日は?
再起動しても全然だめで、他のPCを取り出してみたがこれも動かない。
やっと動いたと思ったら、officeがはいっていなくて作業できない。
PCが使えないなら、資料無しでも直接話して調整を進めよう!
と電話を手に取る。
・・・話し中。・・・留守電。 まったくつながらない。
何も進まないからお茶をしようと
「珈琲ジャンケン」をチームのO先輩に挑む。(その名の通り、勝ったら珈琲をおごってもらうジャンケン。)
・・・負けた。
あまりに踏んだり蹴ったりの私を哀れんで
「今日は特別だ」とO先輩が珈琲とうまい棒30入り袋をおごってくれた。
珈琲じゃんけん、私が負けたのに。
先輩の優しさのおかげで、凹み具合がやわらぎました。
なんと幸福なのだろう。
- 以前、DVDレンタルをしたけれど、(時間がなくて)2倍速でささっとみてしまった『かもめ食堂』。
- 友達にかりて、今回のんびりと観ることができた。
- 舞台はフィンランド・ヘルシンキ。
- 主人公・サチエが開いた「かもめ食堂」をめぐるお話。
- 3人の日本人女性とフィンランドの人々とのゆるやかで温かい流れが描かれる。 .
サチエがなぜフィンランドに単身暮らしているのか、その詳細はわからない。
「どうして来たんですか?」と尋ねられても、- 彼女は思いつきで応答し、「・・・なーんてね」と冗談めかした口調で答えをはぐらかしてしまう。
そんな理由なんて、物語の中核には何の影響もない。
むしろ、理由が語られないことが、作品の意義を語っているような気がした。
フィンランド・ヘルシンキの街並みの美しさや
そこに暮らすフィンランドの人々の不思議な純朴さが
とってもよく描かれていて、心地の良い映画。
かもめ食堂の料理はとても美味しそうだ。
鮭の塩焼きにしょうが焼き、シンプルなおにぎり。
全てが丁寧に作られていく様子を見ると、それだけで心地よく美味しい気分でいっぱいになる。
シナモンロールが焼きあがった場面では、
なんだかシナモンの甘い匂いがしたような気になった。
「かもめ食堂」をフィンランドで開いたのは、「ここでならやれると思った」から。
「やりたいことができていいですね」って言われて
「いいえ、やりたくないことはやらないだけ」というサチエ。
自分の価値観を人に押し付けず、凛とした人。
布巾をかたくしぼる。
白木でできたテーブルを、丁寧に拭く。
食堂へ来る人々を「いらっしゃい」と迎える。
ふっくらとした鮭の切り身がシンプルで白い丸皿にのって供される。
ああ、おなかがすいた。美味しそう。
なんと幸福なのだろう。
桜色
翌朝に大切な打ち合わせがあり、準備をしていたところ
明るくなってきた髪の色が気になった。
美容室へ行きたいけれど、夜遅くまで開いているお店が思い浮かばない
というわけで友人(美容室勤務)にお願いし、カラーをしてもらうことに。
「明るくなってきたので落ち着かせたい。」とお願いし、あとはおまかせ。
数十分後。
全体的なトーンは落ち着いた。けど・・・なんか明るい気がする.。少し赤い気が。。
友人に聞くと、
「いいでしょー。春といえば桜!ピンクアッシュにしてみました。」
・・・・・明日は大切な打ち合わせって言ったよね。。
と一瞬ガクっとしたけれど
カラーの出来栄えに満足し、屈託のない笑顔を浮かべる友人を見て
まぁ春色ということで、いいかなと思えてきた。
明るい光の下でなければ そんなに目立たないし。
友人のおかげで、ちょっぴり春を意識。
スローライフ・
復帰してから早3ヶ月。
職場の方々のご配慮により ゆったりした仕事のペースで、
体調も快復の一途を辿っていて、生活のリズムも整ってきた。
まだ体力が追いつかないこともあるけれど
自分の時間がたくさんできて、帰宅後本を読んだりメールを書いたりできる。
健康になった、元気になった、よく喋るようになった。
私が感じる以上の変化を 周囲の人も感じ始めているようで
「調子が戻ってきたねぇ」と言われる。
改めて私は快復したのだと実感する。
少しずつ、上向き。
それもまた嬉しいのだけれど、このペース、生活リズムでいいのだろうか戸惑ったりもする。
じゃあ、どうしたいの?と言われると、どうしたいとも答えられない。
ただ、戸惑っているというだけ。
ただおそらく、今はたぶん、これでいいのだと思う。
こういう生活やリズムを、心や体が求めていることは事実だ。
同期や大学時代の先輩に聞かれる。
「転職しようと思わなかったの?もうすぐ4年目になるし、この先どんな方向に進んでいくの?」
「escargotsはゆっくりとした勤務ができてうらやましいわぁ。私も身体悪くしたいくらい。
しばらくはのんびり生活を満喫していくつもりでしょ?」
「4月に異動希望はどうするん?私の目標は・・・・で。escargotsは○○があってるよ。」
人生に、常に目的・目標は必要か。
大きな意味では必要だろう。
あるいは、小さな意味でだけ必要なのかもしれない。
私は決めつけられるのが嫌いだ。
以前よりもゆったりとした生活であるのは、別にそうしたいと思ったからじゃない。
自分の時間がしっかりとある・この生活は素敵だけど、その価値に初めて気づいたわけでもない。
スローライフはすばらしい。
それでも、それが何ものにも優るだなんて、そんなこと思わない。
「ゆったりした生活が一番よ」なんて言われると、「そんなことない」と言いたくなる。
くたくたになるほど疾走する日々を否定するはずもない。
走った人にしかわからないものがある。
走り続けたいとするなら、ずっと走り続ければいいと思う。
歩きたいなら歩けばいい。立ち止まってもいい。
そんな欲求へ素直に従うことを大切にしたいけれど、そうすることは実はけっこう難しい。
実際、今の生活の中で「これでいいんだろうか」と私によぎる想いは、ちょっとした不自由のように思う。
「これでいいんだよ」と自分に念を押し、心を自由に泳がせられればいい。
でもそれが「これがいいんだよ」と限定的なもの・指定されるものになると、途端に反発したくなる。
分かるだろうか、この違い。(ただの天邪鬼?)
数多ある選択肢の中から、今の私が選んだ(?)今の生活。
どこかにある正解を見つけるのではなく、なんとなくしっくりくる座り心地。
スローライフ。
時には心の底から欲し、時には全く必要ないと思う。
自分の求めているものを読む、フィーリング。
心地よいものを嗅ぎ分ける。
できるなら、シンプルにいきたい。
「ユメ十夜」
「ユメ十夜」を観た。
夏目漱石の「夢十夜」が原作のオムニバス。
[こんな夢をみた]ではじまる10の夢を、10人の監督が独自の解釈で映画化したもの。
「夢十夜」は高校時代に読み好きだったし、
西川美和・松尾スズキ等の監督さんが手がけたということで、是非観たかったのだ。
観終えて。
まず原作を読んでから観たほうがよいかも、と思った。
比較的原作に忠実に作られている作品もあれば
一部をとっただけで同じ物語だとは思えないような作品もあり。
10人の監督が自由に解釈&アレンジしているので
原作を読んでおいたほうが、どの場面をどのようにアレンジしたのががわかるかなと。
監督たちの表現しようとしていることに注目すると、深く楽しめます(きっと)
個人的に、原作で一番好きな第三夜がどう表現されているか気になっていただけど
自己言及とホラーと、面白かったので満足。でも怖かった。
泣ける。
鷹の爪を触った手で、目を触ってしまった。
悲惨。
スンドゥブチゲを作ったとき、鷹の爪をちぎったのが原因。
調理後、結構念入りに手を洗ったのに、
唐辛子の刺激成分は石鹸&食器洗剤には屈しなかったようだ。
眼の痛みに耐え切れず、目薬を何度も点す。
タオルを冷やし、眼の周りを押さえる。
滝のように流れ落ちる涙をぬぐいながらふと思う。
唐辛子を食べて・その辛さで泣くならまだしも、うっかり目を擦って泣くなんて
なんて間抜けな私・・・さらに泣けた。



