ゆれる | Katatsumuri -easygoing days-

ゆれる

東京で過ごした年末・年始。

「帰省してる?同級生で集まるのだけど」「初詣に行かない?」
と連絡が友人からきては、今年は帰省しない・また次回会いたいという旨を伝える。

小学校時代の友人からメールが届く。元気か、何か変わったことはないか。
一連のお決まりごとが書かれていて、私は一連のお決まりごとの返事をする。
そして2通目のメールに本題が入る。

今年は帰省しないんだよね?
年末に同窓会があるんだよ。楽しみ1割、あとは憂鬱。
あの一体感がね。。
帰省してきてよ、一緒に参加しようよ。

帰省するのは楽しい。
年に数度の再会があり、思い出や近況を語りあう。
ある意味、思い出はそこにそのまま置いてきているものなのかもしれない。
でも故郷に生きる友人たちにとっては、確かに時が流れている.
みんな一続きの時間の中で、互いの変化を見ながら生きている。
むしろ私が、時の枠の外にいる。

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初詣後に,友人と2本立ての映画を観た。

映画「ゆれる」では、東京でカメラマンとして成功した弟が、法事のために、久しぶりに故郷に帰ってくる。
実家では、故郷に残って家業のガソリンスタンドを継いでいる兄がいる。
都会で仕事も私生活も派手に生きる弟と、田舎で真面目に働く実直な兄。

対照的な兄弟の間にある、時と距離の隔たりは、知っているようで知らず、近いようで遠く
その不安やもどかしさが悲劇的な展開を引き起こす。
けれど、その状況に陥って初めて、二人に互いを見つめなおす機会が訪れたことも確かだった。

奪い続ける弟と奪われていく兄。
弟は最後まで兄を信じ切れなかったと悔やんでいたが,
果たして兄は本当に真実だけを述べていたのかな,とも思う。
田舎に残り,家業を守り,小さく濃密な世間を波風立てずに微笑みながら過ごしていかねばならない
(と諦めていた)兄にどうしてもシンパシーを抱く。
男女間のゆれ 兄弟間のゆれ 親戚との間に起こるゆれ さまざまな心の揺らぎ。
最後のシーン。あと後はどうなったのだろうと、想像を巡らす。
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映画とは重ならないけれど、
もし自分が東京で就職せず、実家に戻っていたら 
今頃どう過ごしているのだろうとふと考えた。