本当の幸せがわかったからこそ苦しい?それとも苦しかったからこそ今が幸せという?
知らない、それは私には知らないことだ。
お腹空いた、普通に。と思えるぐらいの幸を纏いながら愚痴を言う。
3人とも20歳にもなっていない、3人とも死にたいと言う。
本当はそうではないだろうが。
今ナイフを渡されたら脈を断つ?
今すぐ飛び降りる勇気なんてある?
確かにできるわけではないはずのことを
気軽に言ってしまっている。
幸せだった瞬間、そうでもなかった瞬間、
全部無意識に意識しつつ人生を生きたとしても
立派になれなかったと思う。
その言葉がまた口に出してしまうと思う。
はたち、という、なぜか特別な読み方をしている言葉。
先に生まれた人々にとって、はたちまで生き残れたのがどれぐらいのめでたいことだったかしら。
喜怒哀楽の詰め込んだ波瀾万丈の若年から、新たな人生、
新たな夢への扉という
はたち。
その前にあらゆる苦痛、困難を乗り越え、向かうのがはたち。
ただ今の時代は逆ではないか。
20歳前に自分にとっての幸せを全部経験してしまうこそ、
行き先がいかに虚しく感じる。
虚無感を常に口にするようになった、
君と私。