上司と、私と、後輩の合計4人、行きつけのお店で。
統括部長Nさんは、とっても頭の良い方。
考えが広く・深く、回転が速く、博学(いい意味での「マニア」)。
こういう方に「こいつ、面白い」と思っていただくのは、難しい。
「ふーんやるじゃん」と思っていただくことが大事なんだけれど、
私には、まだ、なかなかできなくって。
2時間くらいご一緒して、何度、見逃し三振したことか(笑)
場にあった話題をタイミングよく提供するという、ヒットだとか、
「これって、こういうことですよねー」的な、バントで出塁だとか、
そういうのって、いやー、なかなかハードルが高くて。
日常生活で、よーく思考していないと、無理だわぁ。
ということに、改めて気づく。
そこで思い出したのが、昨日読んでいた、松岡正剛『多読術』。
読書というのは、書いてあることと自分が感じることとが
「まざる」ということなんです。これは分離できません。
それはリンゴを見ていて、リンゴの赤だけを感じることが
不可能なことと同じだし、手紙の文章を読んでいるときに、
こちら側におこっているアタマやココロの出来事を
分断できないことと同じです。そこは不即不離なんです。
ということは、
読書は著者が書いたことだけを理解するためだけにあるのではなく、
一種のコラボレーションなんです。
さて、
「書いてあることと自分が感じることとが、まざる」
「コラボレーション」
私の中で、真の意味のこれが、起こっているだろうか?
そこに、「編集」という作業、すなわち、
「考える」→「消化する」→「自分のアイディアに昇華する」
という、一連の出来事が起こっているか?
あいにく、答えはNOだ。
食べるという行為にたとえて言うなら、
モグモグして、ゴックンして、ご馳走さまして、終わってるなぁ。
で、冒頭の通り、今日わたしは思った。
日々「ちゃんと考える」ということをできているのか?
そもそも「噛んでいる」のか?「丸ごとゴックン」していないか??
あちゃー、
よく噛まないで、ゴックンしちゃってるよー、
よく噛んで、消化しなきゃ、自分のアイディアなんて持てやしないよー、
あー、自分のアイディアが無い人間なんて、私はイヤだぁぁ、
いろんな思いが反省の念とともに、自分の中に湧きあがってきた。
「考える」「頭を使う」ということにもっと取り組もう、と思った。
ちなみに、本日、帰りの電車の中でのできごと。
「地頭って、鍛えられるもんですかねー?」という後輩の質問に、
Nさんは「できるよー、トレーニング次第だね」とさらっと答え、
ふと一つの広告を指差した。
「じゃー、あれは、何のために・どんな人に向けて作られたもの?」
指さす先には、「Suicaポイント使えます」の文字と、
車内販売の販売員から何かを買おうとしている女性の写真。
「じゃー、あれは?」
黒い紙面に「朝日新聞はWATCHし続けます」の文字。
こうですか? ああですか? と、
私も後輩も口に出すが、Nさんは黙っているだけ。
そうこうしているうちに、乗り換え駅に到着。
Nさんに御礼とお別れを告げ、私&後輩は、急いで下車。
答えは、自分達で見つけるしかない、ってことだ。
(これも、考える訓練のひとつだ)
目の前のことをそのまま見逃さず、なんでもいいから関心を持ち、
思考を巡らせることで鍛えられていく、ということかな。
たぶん、小難しいことをする必要はなくて、
目の前に転がる「考えるヒント」にかぶりつくことから始まるのかも。
Nさんが示唆していたのは、それだった気がする。
まだまだ、これから引き続き修行します。
貴重な気付きをくださったことに感謝して、がんばりまーす!