ADHDは自己肯定力が低いといわれてます。
私も「どうせ失敗する、どうせ続かない、どうせがっかりされる」
この思想は私も常に頭にまとわりつきます。
ですが、それに矛盾する「強い自己愛」も持ち合わせています。
それが今の僕を支えています。
親からの過度の愛情不足で、幼い頃から家族に対して、感情を持っていませんでした。
とにかく一緒に居たくないという感情しかありませんでした。
30年経った今でも、全く何の感情も持ち合わせていません。
しつけなどで、激しい暴力なども数回受けましたが、日常虐待レベルではないので、嫌悪感や恐怖もありません。
見た事もない人の写真を出されて「この人に対してどういう感情ですか」と聞かれているのと近い感覚があります。
親から愛情不足に加え、小学生高学年でのいじめが重なりました。
常々、消えてしまいたいと思うようになり、自殺願望が強く出てきました。
この頃「架空の友人」を作り出し、自分が死んだ時にお葬式で「架空の友人」が泣いている光景を毎日想像していました。
思えばこの頃から「人に愛されたい、人に想われたい」という感情が歪んだ形となって出てきていました。
ADHDで学生生活を送るだけで精一杯。習い事にブラック部活の中学生活。
トップレベルだった成績が最底辺まで沈み、偏差値の低い私立男子校へ。
親は私に完全に興味を失い、全く干渉しなくなる。
さらに周りのレベルが落ちて、ADHDの症状が目立たない。
15歳になり、ようやく人生で初めて落ち着いて日々を過ごす事ができました。
勉強しなくても良い、習い事も無い。
もちろん、夢も希望も無いが、自由な時間が与えられた。
受験に部活に全て失敗し、自己肯定力を失いかけていた中で、
人に愛されたい!自分の素晴らしさを認められたい!
その感情が爆発しました。
好かれる為にはどうすればいいのか。
男性向けのファッション雑誌と女性向けファッション雑誌を両方買い、
一文字一句読みつくし、今の流行や、求められる人間像を研究しつくしました。
そこに、自分の感情や性格は一切有りません。
流行には過敏でどんな話でも対応できるユーモアを持ちながらも、聞き上手。常に相手を気遣うスマートさ。
そこから徐々に相手の理想像をプロファイリングし、相手が求める人物になりきりました。
とにかく得たいものは「愛されている」という実感でした。
周辺に女子高が非常に多く、ネットでの出会いが盛んだった時代
自分は背も高く、見た目もそこそこ、さらに異常な執着心と愛情に飢えている。
これらが重なり、最初は付き合うのがゴールとするだけの物で、次から次へと彼女を作り、
数だけが増えていきました。
最初は人に認められた、愛されていると感じる事で精神的満足感はありました。
でもそれは直ぐに飽きました。
所詮年頃の女子の恋愛に対する憧れ、興味、遊び感覚の相手をしているだけ。
同い年の女性がとても幼稚に感じました。
くだらない恋愛ごっこじゃないか。と。
心の深い部分が満たされる事は無く、言いようの無い寂しさに包まれる日々。
私が求める物は、強い精神的な繋がりでした。
もっと強烈に愛されていると感じたい。
そんな時に出会った、同い年だがとても大人びた、精神を病んだ女の子。
そんなある日、きっかけはわかりません。
元々願望があったわけではありません。
最初は戸惑いもありましたが、たまたま相手もまたそれを求めていた為、すぐにエスカレートしていきました。
行為の最中に相手を痛めつける事に強い快感を感じていました。
それは性的な興奮というより、「心の一番深い場所」が安らぐという感情でした。
そしてその相手に対して「感じたことの無い深い愛情」が芽生える感覚がわかりました。
感情を抑えられず、どんどん激しく相手を痛めつけました。
これほど痛めつけてもなお、私を好きだと言ってくれる相手に対して、
初めて心から人を信用して愛する事ができたのです。
今思えば、愛に餓えた私の「甘え」だったのかもしれません。
もちろんそんな行為に呼応できる子だったので、彼女もまた歪んだ愛情を求める子でした。
その人とは、特に長くも続かずしばらくして別れる事となりました。
しかしその後、激しい愛情渇望を感じたり、激しい女性遊びをする事もなくなりました。
そして異常性癖もすぐに無くなりました。
私は長く付き合ったり、同棲した女性であっても、今何をしているかなど一切興味がありません。
しかしその女性と別れたのは、今から13年ほど前ですが、今でもその女性とは連絡を取ります。
その女性だけは別れた後も、他の人とは違う、不思議な感情を持ち続けていました。
今はお互い既に結婚し、その人には子供も居て、穏やかに暮らしている。
結婚も出産も心から嬉しかった。
子供の顔だって早く見たくてしかたなかった。
他の誰の子供でも、早く顔が見たいなんて思った事が無い。
その女性が元気に暮らしてる姿を見ると、いつも穏やかな気分になる。
恐らく、私の人生で初めて愛を教えてくれたのはこの人なんだろう。
だからきっと、皆が感じる家族に対する感情に似た感情を持っている。そんな気がするのだ。
それまでの女性も本当に愛してくれた人もいるかもしれない。
人並みに恋愛して、手を繋いでデートしたりした。
でも決して、深く沈みきった心に届かなかった。
(どうせこの人は裏切る。信用して心を委ねていたら大変な事になる。傷付きたくない。)
ふと手に入った愛情に対してどうする事もできず、すぐに失う事の恐怖の方が大きくなっていた。
小学生で、親や友人に愛される事は無いと諦め、自殺しても誰も悲しまない事に悲観し、
架空の友人まで作っていた。
そんな「愛に餓えて歪んでしまった心」を、歪んだ愛情行為だけが、救う事ができたのだろう。
幼少期の頃の自己形成の失敗と、
10代後半からの激しい女性関係が私にもたらしたものは、強い自己愛でした。
自分の身の丈には合わない、強烈な自信。
それはADHDの弊害により自己否定をカバーする為の、心の防衛反応かもしれません。
心が「あなたは継続や努力などは出来ないわ。でも本気になれば沢山の女性と
関係が持てる、魅力があるのよ」と心が騙しているのかもしれません。
もちろん冷静になれば、それほど魅力的な男性でも無いのです。
なので今でも強い自己愛と、ADHDでボロボロの精神が共存しています。
根拠の無い自信で満ち溢れ、自分の素晴らしさや知識をひけらかしたかと思うと、
もうなにやってもダメなんだと、打ちひしがれている時が、交互に現れとても忙しいのです。
このブログも書きながら自己分析を楽しんだりしています。