9月6日、北海道に7級の地震がありました。今日でちょうど2週間立ちました。

メディアではもうほぼ報道していないし、石狩市民も少しずつ普通の生活に戻ってきます。

でも、またたくさんの人が苦しい生活をしているんでしょう。

 

避難所に住んでいる方々はもちろん、酪農と観光業もとても影響されています。

店もまだ節電してるし、朝早く行かなければ納豆と豆腐が買えない。しかも1人1個で制限されています。

食パンはやっと買えるようになりました。牛乳もそうです。

 

北海道に暮らしている人たちはたぶん、地震で被災者になると思ったことがないでしょう。

漁業も酪農も農業も観光業もすごく恵まれて、とても寒いけど、暖房設備もしっかり備えられているから、心配なし。

まさに、自給自足できることにずっと誇っている。

まさか、食パンも納豆も豆腐も牛乳も買えないなんて、想像もしなかったんでしょう。

私もそうだった。(道民じゃないけど)

 

地震当日の夜中3時半、急にめちゃくちゃ揺れて、頭を机の下に隠しながら揺れが止まるのを待っていた。

それから夫が防災グッズを背負って、一緒に学院まで歩いて、そこで避難した。

しかし、電力が使えなくなった。そして、水もだんだん使えなくなった。

幸いに、携帯は防災グッズのおかげて充電できたから、情報収集ができた。

 

朝からすごくめまいしたけど、横になってもなかなか眠れず。

「電力と水の復旧のめどが立たない」「数時間後に携帯が使えなくなる」「復旧までおそらく一週間ぐらいかかる」

情報があちこちから入ってきた。

「トイレどうする?冷蔵庫の食べ物どうする?料理どうする?どうする?どうする?どうする?」

どうするしか考えられなかった。

 

その後近くのスーパーやドラッグストア(ヤマダ電器まで!)に回ったけど、やっぱりどこでも山ほど人が並んでいた。みんな水、食糧と電池などを求めてきた。

だからあんまり買い物できず、また学院に戻った。

 

学院がこの日休みになって、学院生たちがずっと賛美した。その賛美の声を聞いて、私が考えたのは、「こういう時にエネルギーを無駄に使わない方がいいんじゃないの?」だった。

信仰で、災難の時に本当にボロボロなもんだね。めっちゃ悔しいけど、自分は本当に弱いです。

 

それからいろんな人としゃべったり、横になったり、いろんなことを心配したりして、晩御飯は学院で食べさせていただきました。

家族寮と学院生が一緒にあるものでめっちゃおいしい夕食を作ってくださった。今の学院生、本当に強いな。

ちなみに、トイレは近くの公園から水を汲んで流しながら使った。それも学院生たちがやってくれた。

私はずっとショックでめまいして何にもできなかった。

 

幸いに、iTODの水は夕方から復旧したから、夕食の後に帰ることになった。

電力はまだ。だから携帯のライトで、腐りがけの鶏肉を焼いてタッパに入れた。一晩ぐらいは持つんだろうと思って。

10時ぐらいに寝ようとしたら、電力が回復した通知がきた。

スイッチをつけ、部屋が照らされた瞬間、あまりにもうれしくて夫を抱きしめた。

光って、こんなに貴重で、尊いものなんだ!!と思った。

 

後でわかったけど、この地域で当日に電力も水も回復したのはこの近所だけ。

車で5分程度のところになったら、次の日も電力が復旧しなかった。

この辺に病院と市役所があるから優先的に復旧された説もあったけど、私は、神様が学院を憐れんでくださったと勝手に思った。

20人以上の団体生活に、食料を確保するのは至難なわざ。電気がなければ、在庫の分もだんだん腐ってしまう。

そして、幼児もたくさんいる上、家族寮は基本オール電化。

祈ってくれた人もたくさんいたし、学院のみなさんがめちゃくちゃ祈ったと思う。

 

だけど、この震災で教会が壊され、その教会の牧師先生もけがしたと聞きました。

なぜ、それが許されたか、人間にはわからない。

私も神様に聞きたかった。

 

私たちは、ただ神様に生かされる存在だと、これだけは確信できる。

 

今でも地震の怖さが身に沁みている。

余震があった日も恐れながら、停電の夢を見て朝を迎えた。

 

しかし、感謝のことは本当に数えきれないほどたくさんあった。

神様はいつも一番適切なタイミングで私たちを満たしてくださった。

まず、命を守ってくださったことに本当に感謝です。

 

私は、どんな時でも神様から与えられる希望と力によって強く生きたい。

今回の信仰はボロボロだったけど、成長したい。

きっと一生の課題だね。