本日の「積ん読」読書は、ヘルマン・ヘッセの短編集です。
本書には表題の『旋風』のほか、『大理石材工場』、『少年時代から』、『秋の徒歩旅行』が収められています。
『旋風』以外の3篇は未読です。そして、多分ですが、ヘッセの有名どころの小説としては、私が読んでいない唯一の小説群です。
そうですね、どれも佳品ですけれども、『秋の徒歩旅行』が心に残ったかな。
「私」は懐かしい思い出のある町を訪ねる。そこは昔の恋人ユーリエが嫁いでいる町だった。「私」は、旅の途中で親切に馬車に乗せてくれた男がユーリエの夫であることに気づく。彼は全てを承知の上で「私」を家に招待し、団欒の時を与えてくれる。「私」はユーリエと昔の思い出を話したかったが、彼女は冷淡な態度に終始する。
自分の詰まらない矜持や信念や義務感によって、せっかく自分を心から愛してくれた恋人を失ってしまうという経験は、若い時によくあると思います。その悔恨の念を描いた作品です。
ユーリエの家を辞した後の描写です。
(「私」は)、なお長いあいだ小さい町の中を歩き回った。どこかの古い屋根からレンガが落ちて、私を打ち殺したら、それもよかっただろう。このばかものめ!このばかものめ!
思わず笑ってしまいました。私にも同じような経験がありますから。
ヘッセの作品には、青少年の心を鷲摑みにするような魅力があります。特に生真面目でいくらか内向的な性格の若者だったら、ヘッセこそ我が心の友だという心理状態になります。自分で言うのもおこがましいのですが、私自身がまさにそうでした。
けれども、次第にヘッセに捉われていることに、軽い嫌悪感じみたものを感じてきます。それは、自分の心が純真さを喪っていく過程と軌を同じくしているように思います。そして、いつしか世界がガラスのような透明性を損ない、薄汚れたスラグでしかできていないと感じたとき、ヘッセは私の前から立ち去っていました。
長く長くスラグの世界に泥んで年老いた後、ふっとヘッセの本を書棚に認め、この『秋の徒歩旅行』の主人公のように、思い出の地を訪ねてみたいという気持ちになりました。
これが恐らく、私がヘッセを読む最後になるでしょう。それでいいのです。ヘッセの作品世界の美しい記憶に、改めて光を当てるきっかけになってくれたのですから。