大雑把に日本の近代史を眺めていると、要らぬ戦争ばかりしていたなという思いが強くなります。

 

 

日本の針路を決めた日清・日露戦争だって、避けようと思えば避けられた戦争でした。これらは、どんなに擁護しても過剰防衛だったと思います。「旅順の城はほろぶとも、ほろびずとても何事ぞ」(与謝野晶子『君死にたまふことなかれ』)は、全く正しい認識です。

 

 

元首相の石橋湛山が、戦前の段階で、「植民地経営は割に合わない、ふつうに貿易と投資によって平和のうちに日本は豊かになれる」という意味のことを言ったのは、先覚者の言葉として、私たちは噛みしめるべきでありましょう。

 

 

しかし、現実はそういう平和の道を歩めなかった。何故なのか?

 

 

ひとつだけ指摘しておけば、日本人みたいに「和を以て貴しとなす」国民性では、ワーワーッと大きな流れに乗って行こうとしやすいという点です。その「和」が権力者に都合の良い「和」であるにも拘わらずです。

 

 

8割の国民が「和」を貴ぶようになったら、なす術がありません。「和」を乱す者に期待するしかないようです。幸い、今は多様性を貴ぶ世の中になりつつあるではありませんか(笑)。