風邪引きのため文字通りの寝正月を過ごしているうちに、今年の抱負じみたものがだんだん形を取って来ました。

 

 

何をやるのか?

 

 

戦争の研究です。具体的には、何故日本が太平洋戦争という破滅的な戦争に突き進まねばならなかったのかを明らかにすることです。

 

 

「そんなことはとっくに明らかになっているではないか」と冷笑するような人とは議論をしたくありません。教科書的に「明らかに」なっているに過ぎないからです。

 

 

何故今、戦争を問題にするのかは、私の個人的な事情が与かっています。

 

 

私は今75歳で、今年は76歳になります。日本人の平均寿命81歳(2022年)からして、あと5、6年しか生きられません。その短い猶予の時間で、私に何ができるのかと考えたのです。

 

 

ブログではいろんな方面に手を伸ばして、素人論議を繰り返して来ましたけれど、どれもこれも能力的な限界があることに気づきました。

 

 

例えば今般のパンデミック関連の論議ですが、私なりに熱心に調べはしたものの、結局はこれはと思う専門家の意見の受け売りにしかなりませんでした。根本的な知識や経験の不足は如何ともし難かったのです。

 

 

そんな自分の専門外の畑でうろうろしているよりも、多少は専門的な訓練を受けた歴史学の分野で勝負すべきであろうと考えるに至ったのです。特に太平洋戦争を焦点とする昭和史は、学生時代に力を注いだところでした。

 

 

研究対象期間は、政党政治真っ盛りの大正期を含めて、世界恐慌~日中戦争~太平洋戦争~サンフランシスコ平和条約に至るおよそ30年間です。

 

 

わずか30年だったのか・・・・と改めてその期間の短さに驚きますが、それは現代日本の国家・社会の在り方を規定した30年でありました。

 

 

私は、無論、戦争には反対です。ただし、絶対平和主義者には与しません。戦争体験者が唱えるならまだしも、そうでない者が主張するのは安易に過ぎます。彼らは、何故戦争が起こったかという問題を心の問題に還元してしまい勝ちですから、戦争の動因、ダイナミズムに対して盲目なのです。

 

 

また、国家間の戦争を国際金融資本の代理戦争だとするような見方に対しては、私は十分聞く耳を持ってはいますけれども、国内権力ベクトルの総和としての国家意思を過小評価しているという点で賛同はできません。そんな考えからは、プーチンや金正恩が世界の暗黒面と闘うジェダイの騎士であるとするような奇形な世界観しか生まれないのです。そして、何よりも、個々人の政治に対する責任倫理を希薄にしてしまうでありましょう。

 

 

 

・・・・と、若干、今現在の私の戦争観の切れ端めいたことを述べてみましたが、今後の研究でその考え方は変わっていくかも知れません。むしろ変わることを期待しているのですが、願わくば歴史の解釈に終わらず、どのように歴史をデザインしていくのかを発信できるまで、知識を深めていけたらと思っています。

 

 

なお、それで私自身の境遇がどうなるというものではありません。書くつもりもないのですが、たとえ論文を書いたところで、今は発表する場も持っていません。

 

 

でも、そんなことはどうでもいいのです。蠟燭が最後にパッと明るく燃え上がる。そんな経験をしてみたい、というよりも、そうさせざるを得ない、やむに已まれぬ気持ちがあるだけです。