かつて古今東西の大・恋愛小説を渉猟した(嘘八百万石だけど)のだが、どれもこれもろくなものがない。『源氏物語』なんてのはクソの役にも立たんわ。
というか、それらの大・恋愛小説を思い返してみても、みんな例外なくボワ~ッとした印象が残っているだけで、あらすじさえも記憶にないものばかりだ。一体オレ様は何を読んで来たというのだ?
仕方がないから、そのボア~ッとしたやつらの中でも、ひときわ輝きの強いボア~ッであるところの、スタンダール『パルムの僧院』を取り上げて論じる・・・・
・・・・つもりだったが、これもディーテイルをさっぱり覚えていないことが判明して、あえなく撃沈した。
ただ、ファブリスとレイア姫、じゃなかった、クレイアだっけか、の二人の猛烈な恋愛感情のやり取りだけは、究極の恋愛の形として、つまりは恋愛の規範として、我が心に消えぬ刻印を残したのであった。
もう、論ずるのをやめたくなったあ・・・・。
が、勇気を奮い起こして、もう少しつづけると、そもそも恋愛というのは、二人だけの固有の華麗な世界を作り上げることなのであって、第三者の批評的な容喙を許さないという特質を持っている。
その恋愛が成就するにせよ悲劇に終わるにせよ、二人だけで責任を持つしかやりようがないのである。恋愛の危険性がそこにある。安全でまともな人生を送りたかったら恋愛などせぬがよい。
その危険性を顧みず、燃え盛る炎のただ中に飛び込んでいく人間が、私は好きだけれどね。
そして、仮に恋愛が悲劇に終わったとしても、こんな類の言葉を相手に投げかけられる人でありたいと思う。
これから始まる暮らしの中で
だれかがあなたを愛するでしょう
だけど私ほどあなたの事を
深く愛したヤツはいない
遠ざかる影が人混みに消えた
もう届かない贈る言葉
以上、柄にもなかった大・恋愛論、終わり 何だ、最後は金八か・・・・。
ご清聴ありがとうございました。