事実は小説よりも奇なりといいます。

 

 

沢田愛美さんは、ご自身の書かれているものを「小説」と銘打っておられますが、そうせざるを得ない事情を理解するのが私たち読者の想像力というものでしょう。

 

 

いろいろ貼りつけてある記事・動画を全面的に肯定する必要はないと思いますけれども、ふふんと鼻であしらうのと、その可能性を考慮するのとでは、後々世界を認識する力に大きな差を生ずるでしょう。

 

 

 

どんなに少なくとも、ミズーリ号からすべては始まったと考える歴史観は正解です。

 

 

それは、進歩的な歴史学者あるいはマルクス主義歴史学者も支持するところです。しかし、彼らの言う「日本民主化」の始まりとは相当のずれがあることも認識しておかなくてはなりません。

 

 

そうでなければ、旧態依然たる「保守ー革新」や「左翼ー右翼」の対立構図から逃れられず、事の本質を見誤るはめになるでしょう。(そうなっちゃってる知識人のいかに多いことか!)

 

 

世界はそういう平面的な疑似的対立において動いているのではないのです。

 

 

平面ではなく、目に見えにくいもう一本の対立軸に気づき、末端の現場とはいえ、その対立が熾烈な火花を散らすところに身を置いた愛美さんの、心の叫びを聞いてほしいと思います。