もう寝たいのだけれど、ブログを書いていないから寝られない。かといって書くネタもない。
なければ書かなくてもいいようなものだが、2年近く毎日続けて来たのでここで中断はちょっと惜しい気がする。これもブログ中毒の一種なのか。
あんまり気が進まないのだけれど、このあいだ書くのを省いた牛の屠殺について触れておこうか。
牛を殺すには銃みたいなもの(正式名称は知らない)を用いる。弾は金属製のちゃちな作りのものである。この弾をこめて銃口を牛の眉間に当てる。牛は何をされるのか分かっているみたいで、目を剝いて嫌々をするが、別の職人に強引に頭を押さえつけられる。弾が発射された瞬間に、牛の体は横ざまにドターンと倒れる。
それから眉間に開いた傷口からワイヤーを突っ込んでグリグリ動かす。脳と脊髄を破壊するのである。牛は多少四肢をじたばたさせるが、すぐにおとなしくなる。
解体作業は豚の場合と同じようなものだが、図体が大きいだけに枝肉として吊るされるまでに5分ぐらいはかかる。それでも作業は極めて手際よく遂行される。
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ここまで見学に付き添ってくれた農協のKさんには感謝の意味を込めて、帰りにちょっと洒落たレストランに誘い、ステーキをごちそうした。そのことに別に他意はなかったのだが・・・・。
Kさんは、屠殺現場には慣れていると見えて、全然嫌がりもせずステーキを平らげた。私も無論、ありがたくいただいた。
Kさんがいくらか冗談気味にだがこんなことを言った。
「TAROさんは少し冷酷なところがあるようですね。いえね、屠殺現場を見たあと、ステーキを食べられる人は今までいませんでしたよ」
「ふふふ、ホントに冷酷なのかもねえ」とだけ私は答えた。
しかし、私はもうふっ切れていたのだ。
常人の感覚を失うこと。自分が精神的に成長するためには、そんな経験をすることも時には必要なのかも知れない。