群馬県の”じいちゃん・ばあちゃんち”に行くと、豚モツの煮込みが食べられるのが楽しみのひとつだった。

 

 

”じいちゃん・ばあちゃんち”では豚を飼っていた。育てた豚は定期的にトラックで町に運ばれていった。

 

 

そんな関係で、時々家には業者らしい人がバケツ一杯の豚モツを持って来た。

 

 

きれいなピンク色をした臓物である。多少は生臭い臭いはするが、それほど悪い臭いだとは思わなかった。

 

 

そのモツをばあちゃんが、たいていは味噌の煮込みにして夕食に出した。

 

 

それがメチャクチャ美味いのだ。どんなに美味いかって・・・・絵にも描けない美味さだったのだ。びっくり

 

 

私には、子どものころに経験したその味が忘れられず、自分でスーパーのモツを買って煮込みにしてみたものだが、いつも完全に裏切られた。香りも歯触りも似て非なるものだった。

 


スーパーのモツはボイルしてしまったものである。これでは旨みが抜けてしまう。生モツはあったとしても冷凍品だ。美味いモツ煮ができるわけがない。外で食っても美味くないのは同じだった。

 

 

 

じいちゃん・ばあちゃんはとっくに死んだし、跡を継いだ叔父も死んだ。その子どもの一人(従弟)が辛うじて農業をやっているが、それもいい年になる。そして、いつしか親戚づきあいもほとんどなくなった。

 

 

 

ということは、永遠にあの煮込みの味は味わえないということだ。

 

 

 

☆☆☆☆

 

 

 

そこまで書いたところで夕食になった。その折、娘がこんな話をした。

 

 

先週の土曜日に仕事で赤城山麓まで車で行った。

 

 

不思議なことに、赤城山に行くたびに耳がおかしくなる。耳抜きをやってもどうも痛みが少し残る。もっと標高の高いところに行ってもそうならないのに、赤城山に行ったときにだけなるのが不思議だ。

 

 

それで娘は行きつけの整体師のところを訪れ、施療してもらったら大分楽になったという。

 

 

「どうして赤城山に行ったときだけそうなるんでしょうね?」と訊いてみた。

 

 

整体師さんは、少し考えてから、「霊的なモノかも知れない」と答えた。いくらかスピリチャルな方面に関心のある整体師さんなのだそうだ。

 

 

「霊的なモノ?」と、なんだか不安になって訊き返した。

 

 

「ええ。赤城山方面にご先祖様がいらっしゃいませんか?」

 

 

「そういえば、先祖が近くに住んでいたそうです」

 

 

「それです。きっとご先祖様の霊があなたの様子を見に来たのです。心配されることはありませんよ」

 

 

 

そんな、やや薄気味の悪い会話があったそうだ。

 

 

「でも、どうして耳が痛くなるんだろうね?」と娘。

 

 

「そんなもん、先祖の霊なわけねえだろうよ」と私。

 

 

「じゃ、何なのよ?」

 

 

「国定忠治の霊だろう」

 

 

「なにそれ?」

 

 

「チュウジ炎だ!」

 

 

・・・・・シラ~~~ポーン

 

 

 

おそまつさまでした。