なおみんさんの所属する「フレスカリア」の練習風景から『ふるさと』を聴いて、やはり素人離れしているなと感じ、歌声を混声合唱団「ももしき」のグループLINEで共有しました。

 

 

好評でしたよ。「ここまで歌うのは我々には無理だろうけれど、大いに参考になります」とのコメントがありました。

 

 

 

 

なおみんさんもおっしゃるように、バスが欠けているのが残念なのですが、そこは私めが恐れながらカヴァーして歌ってみました。なかなかいいですよ(笑)。あ、ただし音源はアップしませんからね!(ぶちこわしだったりしてえーん

 

 

 

 

それがきっかけで、「ふるさと」というものについて、ちょっと考えを巡らしていたんですけれど、長くなりそうなんで、今日のところは学生時代のエピソードを話して終わりにしたいと思います。

 

 

垣田君(仮名)という東北地方出身の友人がいたのですが、私が「垣田君はふるさとがあっていいなあ」と言うと、「いや、そんないいものじゃない」と意外な答えが返って来ました。

 

 

私が「いいなあ」と言ったのは、私には「ふるさと」と呼べるような場所がなかったからです。今住んでいる埼玉には3歳のとき移り住みましたので、ふるさとみたいなものなのですけれど、以前から住んでいる人たちとは土地への親密度が違うんですね。私にはずっと「よそ者」感がつきまといました。

 

 

かといって、生まれ故郷の群馬はというと、3歳までしかいませんでしたから、ほとんど記憶がないんです。その後”じいちゃん・ばあちゃんち”があるところとして度々訪れはしましたが、「つくられたふるさと」っていいますか、二次的なふるさと感しかでき上がりませんでした。

 

 

ですから、正真正銘の「ふるさと」を持っている人が羨ましくて、そんなことを垣田君に言ったのですけれど、その反応には驚きましたね。

 

 

「どうして、いいものじゃないんだ?」と訊きますと、こんなことを話してくれました。

 

 

自分は小作人の倅なんだけれど、子どものころ、正月になると母に連れられて地主の家にお年賀を持って挨拶に行ったものだ。こちらはごく丁重なな挨拶をしているのに、地主はふんぞり返って、「ああ、今年もよろしくな」ぐらいの挨拶しか返さない。しかも、玄関の内には入れてもらえない。母に促されて、一緒に平身低頭して帰って来るのがとても屈辱的だったのを記憶している。都会は人間関係が希薄だというけれども、その方がどれだけいいか知れたものではない。

 

 

ううう~ん、私は言葉を失いましたね。私の持っていた「ふるさと」のイメージが崩れた瞬間でした。

 

 

今日はここまでにしておきます。