夕食時、表記のようなことが話題になったのだが、娘がいいことを言った。

 

 

「わたし、パパがいくらバカなことを言っても、そのまま信じたりはしなかったよ。ふうん、そういう考え方もあるんだって、ちょうど『やりすぎ都市伝説』みたいな受け取り方をしていた」

 

 

「それは正解だ。要は信じる・信じないではなくて、自分で問題の構図をデッサンすることなんだ」と私は言った。

 

 


マチスによるデッサン

 

 

 

何を信じればいいか悶々とするくらいなら、自分で徹底的に調べればよい理屈だが、そんなことを調べ出したら膨大な時間が必要だし、そもそも調べる能力の有無が問題になる。

 

 

それに、問題が生じたとき、ふつうは調べる以前に暫定的にでも現実への何らかの態度・姿勢を打ち出さなければならないとしたものだ。

 

 

そんなとき、対象をデッサンしてみれば、何が主要な対立事項なのかが客観的に見えてくる。わけが分からなくなったら、一度、問題を突っぱねることが必要なのだ。

 

 

突っぱねるためには、難しいことではない、文字通りデッサンする力を養えばいい。

美術教育はこれからますます必要になるだろう。←それが言いたいのかよ!

 

 

アンリ・マチス『王様の悲しみ』1952コラージュ