牧野富太郎博士が少年時代、喉から手が出るほど欲しがった書物がこれ。
『本草綱目』
私は40年ほど前に1万円ぐらいで手に入れました。古本屋のオヤジの話では、「これは海賊版なので安いんだ」とのことでした。確認しましたが、中身はしっかりしています。ただ、簡体字なのが却って読みにくい。
おもしろいことに、我々日本人にとっては、現代中国語より古典中国語の方が読みやすいんですね。笑
絵は牧野博士の方がずっと上手いね。
著者の李時珍(1508~1593)
李時珍は科挙の「秀才」の資格を取り、次の段階の郷試(きょうし)に挑みましたが、3度落ちたため官吏になる道をあきらめ、本草学者(医薬学者)になる決心をしました。
もし李時珍が郷試に受かっていたら、東洋は勿論ヨーロッパにまで影響を与えた書物を書くことはなかったでしょう。
他に科挙に落ちた有名どころとしては、唐末の黄巣の乱の黄巣、太平天国の乱を起こした洪秀全などが挙げられます。
黄巣
みな「秀才」までは取っているんで、これだけでも地方なら名士として通用します。しかし、中央の高級官僚になるには狭い狭い門を通過しなければならず、必然的に悲劇も生まれました。
この間からたまたま登場させた鍾馗も、伝説では唐代に科挙を受けて失敗し、自殺をした実在の人物だとされております。
鍾馗
『邯鄲の夢』の主人公盧生は、科挙に落ちて失意のうちに国へ帰る途中で、国家受験体制を相対化する夢を見ております。
また中島敦の『山月記』に登場する李徴も、科挙に合格したものの、受験体制の被害者だと見ることもできましょう。
魯迅の短編小説『孔乙己』(コンイーチー)には、科挙の予備試験「童試」には受かったものの、「秀才」に受からぬまま年老いて、居酒屋で飲んだくれて馬鹿にされている人物が描かれています。
魯迅は、もしかして自分もこんな人間になったかも知れないと想像しながら書いたのだと思います。
その魯迅はといいますと・・・・。祖父が科挙の最高段階の「進士」にも合格した超エリートだったのですが、科挙の不正事件に手を染めて収監されています。それが周家(魯迅の本名は周樹人)没落のきっかけになりました。きっと科挙にはいまいましい思いしか抱かなかったことでしょう。
魯迅本人は科挙など受けてはおりませんよ、もちろん。
こうしてみると、科挙という世界一難しい試験に受かったところで、ただの国家公務員キャリア組でしかありません。ほとんどが世に名を残すほどの仕事をしたわけではないのです。
その点、受からなかった人物の方が(良きにつけ悪しきにつけ)目覚ましい仕事をしていますね。
そりゃそうでしょうよ。超エリートになるためには、若くして目がぼやけ、耳も聞こえづらくなる必要があったのでしょうから。はははは。