もう30年以上も昔の話である。

 

 

私は、当時通っていたキリスト教会で一人の老人信徒に出会った。80歳は優に超えていたが、矍鑠としていて、10キロほどの道のりをバイクで通っていた。

 

 

仮の名を船田さんとしておこう。歴史好きだった私は、老人と見ると積極的に昔の話を所望したものだったが、あるとき船田さんは意想外な体験談を語ってくれた。

 

 

「大森銀行ギャング事件というのをご存じですか」と船田さんは、私に訊いた。

「ええ・・・・確か日本共産党が絡んだ戦前の事件ですね」と私は、乏しい知識を総動員しながら受け答えた。

 

 

「私は、その強盗事件に関与して逮捕されたんです」と船田さんは、悪びれることなく、淡々と事件のあらましを語った。「私は当時、いっぱしの共産党員を自認していまして、この銀行強盗も革命のためにはやむを得ない行為なんだと、自分に言い聞かせました」

 

 

・・・・・・ここで船田さんの話を全部聞くと長くなるので(笑)、はしょって話すと、1932年当時、活動資金難に陥っていた共産党は、まともなものもいかがわしいものも含むさまざまな事業に手を染めていたが、当局の手入れもあり、いずれもはかばかしい結果を得られなかったため、一攫千金を狙って第百銀行大森支店を襲撃する計画を立てたのである。

 

襲撃はピストルで武装した3名の党員で行われ、まんまと3万1千円余り(現在の価値だと1億円ぐらいか)を強奪することに成功した。しかし、何日か後には実行犯の全員が逮捕され、さらにこの事件に関与したと見做された11名が芋づる式に逮捕された。船田さんはその中の一人だったというわけだ。(ただし現在の日本共産党は、この事件を警察当局の陰謀であったとの公式見解を取っている)。

 

 

懲役か禁固か知らないが、とにかく何年かの刑期で監獄にぶち込まれた。監房の中で船田さんは、自分の考えや行為は本当に正しかったのかと大いに悩んだそうだ。

 

 

そうするうちに聖書に出会い、とくに『ヨハネ福音書』に感激し、涙をしとど流しながら、転向を決意し、キリスト教徒になることを強く願ったという。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 

当時は私もその話を聞いて感激したものであるが、今はちょっと違った感想を持っている。

 

 

絶対的な日本共産党信仰から絶対的なキリスト信仰へ。これでは彼の思考構造そのものはちっとも変っていないのではないか。共産党が非合法(当時)であったのに対し、キリスト教は非合法ではなかっただけの話だ。

 

 

とはいえ、深い罪の意識に苛まれ、社会的にも脱落者となった船田さんを救ったのがキリスト信仰であったことも確かだ。そんな受け皿的な役割だけでも、教会は無意味というわけではなさそうだ。

 

 

3、4年後、船田さんは亡くなった。自宅での葬儀を済ませた後、奥さんが参列者に「主人の蔵書はご自由にお持ちください」と言った。私は、マックス・ウェーバーに関する社会学書を1冊だけ、船田さんの形見のつもりでもらい受けた。