ふと思いついて、こんな本を読み返しています。
フランス第2共和政が、瞬く間にルイ・ボナパルト(ナポレオン3世)によって壊滅させられる過程を分析したもので、歴史好きには大変魅力的な一書です。
学生時代とは120度ぐらいずれた視座から読んでみるのがまた面白く感じられます。
有名な冒頭の部分を引用します。
ヘーゲルはどこかでのべている、すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ、と。一度目は悲劇として、二度目は茶番として、と、かれは、つけくわえるのをわすれたのだ。
しかし、私は疑問に思うのです。いかにさまざまな政治的な力のベクトルが作用したにせよ、かくも簡単に国民国家が過去の亡霊の衣装を纏った者に乗っ取られる事態を目にして、マルクスはもっと違う力の作用に気がつかなかったのだろうか、国家の背後にあって国家を掣肘する力の存在を認識していなかったのだろうかと。
また、国家に代えてインターナショナリズムを対置したとしても、それがいずれ或る力によって、れっきとした亡霊の資格を獲得するだろうことを、彼は予測しなかったのであろうかと。
マルクスに関して私が今興味があるのはそのことだけです。
そんな疑問を持ちつつ現代の世界を眺めると、世界史はマルクスは勿論、あらゆる種類の「ブルジョア史学」をも上書きせずには済まなくなっているように思われます。
あたかも国際金融資本の表の顔みたいな立ち位置のブラックロックのCEOがこんなことをつぶやいていました。ロシア・ウクライナ戦争の本質が垣間見える言葉だと思います。
抜粋↓
世界最大の資産運用会社ブラックロックのラリー・フィンク最高経営責任者(CEO)は24日、株主に宛てた手紙で、ロシアのウクライナ侵攻が「グローバリゼーションに終止符を打った」と記した。各国がエネルギーの脱ロシア依存を模索するなかで、温暖化ガス削減に向けた取り組みは短期的に軌道修正を余儀なくされると指摘した。
戦争の帰趨は予測が難しいものの、ロシアがグローバリゼーションへの対抗力となってきたことが読み取れます。だとすれば、プーチンを単にツァーリやスターリンの亡霊と見るのは正しくないと思われます。