魯迅に『魏晋の気風および文章と薬と酒の関係』(1927)という長たらしい表題の講演記録がある。魏晋南北朝時代(2C~6C)の文学小史といった体の評論である。私は中国史や中国文学に詳しくないのだが、この評論は魯迅文集の中で特に印象に残ったものの一つである。

 

 

やたら未知の文学者が立ち現れるけれども、そんな障害をものともせず私を文章に引きずり込んだのは、魯迅の強い信念、ぶれない軸足の故であったろう。文章とは人間の生きざまであるとの思いを新たにしたものである。

 

 

魯迅(1881~1936)

 

 

この評論の中で目を引いたのは、この時代の文人に五石散という薬物を摂取することが流行した件である。魏・曹操の養子であった何晏が始めたもので、虚弱体質の改善や不老不死の効能があると信ぜられた。

 

 

ただし毒薬であるから、用法を間違えると死に至る。用量を正しく飲めば、体温上昇・発汗の現象があり、精神的高揚感が得られ、創造的な文章を書くことができるとされた。効能があると信ぜられた社会においては、主観的には実際に効能は現れたのであろう。

 

 

この風習はやがて上流人士の間に流行し、五石散を飲めることが一種のステイタスとして認められるまでになっていったとのことである。

 

「竹林七賢図」 雲谷等顔 筆

 

 

 

魯迅は、五石散が流行った意義を、戦乱の世にあって権力者に阿る風潮への消極的な抵抗精神の発露として捉えているようである。政治権力に神仙思想を対置するのは、如何にも奇形な考え方ではあるけれども、直接抵抗すれば殺されるしかなかった時代の苦肉の策と見られないこともない。少なくともこの風習がステイタス化される以前においては。

 

 

 

魯迅は、陶淵明について論じた後、評論の最後の部分でこんなことを書いている。

 

 

私の考えでは、たとえ昔の人といえども、詩文がまったく政治を超越した、所謂「田園詩人」「山林詩人」というのはいない、と思います。人間世界を完全に超越した人もいない。詩文は人の営みで、詩があるということから世事を忘れることができなかったことが分かります。

 

 

20世紀前半の険悪な政治情勢のもと、国民党によって危険人物視された文学者魯迅の言葉として噛みしめるべきであると思う。