ワクチン・検査パッケージ制度が停止されましたね。その点だけは歓迎しますけれど、また3回接種を条件とするとか何とか、ろくでもないことを考えているんじゃないでしょうか。油断はできません。

 

 

でも、欧米に比べれば日本の政策は随分ゆるいなとは感じています。イタリアとかフランスなんかはワクチン・パスがないと日常生活すらままならなくなっているようです。それだけ国民の反発も強いんですけれどね。

 

イタリアのワクパス反対デモ

 

 

ふと、欧米の「民主主義国家」は意外と全体主義への親和度が強いんじゃないかと思いました。封建体制からわりあい長い時間をかけて内発的に国民国家を造ってきた国々ですから、いざとなると国家権力の強力さは非欧米諸国の比ではないのだと思います。

 

 

我が日本は、戦前・戦中、全体主義国家だったといわれていますけれど、今思うと大きな疑問符がつきます。戦争直前、大政翼賛会なんて組織がつくられましたが、近衛文麿が当初構想したナチスやファシスタやソ連共産党のような強力な一党独裁体制はつくれずじまいでした。

言ってみれば政党・官僚・財界・軍部などの寄せ集め集団ですよ。成果を敢えて挙げるなら、地方に町内会や隣組精度を遺したぐらいではないでしょうか。

 

 

     大政翼賛会旗

 

 

どうも日本の政治的風土では、全体主義国家に違和感を感じる人が多いのではないかと思います。どうしてなんでしょうねえ?

 

 

私は、もしかしてこれは封建主義の「恩恵」だったのかも知れないと思いました。封建社会のど真ん中から無理やり国民国家をつくって高々数十年の段階でしょう。形の上では確かに国民国家なんですけれども、人々の意識とかエートス(倫理)というものは封建主義的なそれを脱していなかったのではないかなと思ったのです。

 

 

封建主義のエートスって、例えば二宮尊徳の思想なんかが代表的なものです。つまり、人は各々その分限を守り、小さな範囲で生業に努力を傾けるべきだという考えです。国家はほぼ視野に入っていないんですよ。

 

 

 

そういう根深い国民のエートスは、全体主義国家による強力な統治を生理的に嫌ったのではないでしょうか。

 

 

その代わり、狭い地域内でのしきたりや掟を守ることには敏感ですよ。勝手気ままに振る舞う者には村八分が待っていますからね。そうされないように一所懸命他人の顔色を窺い、忖度をもって事に処すわけです。国家の強制がなくても、唯々諾々とワマルチマルを打つなんてのは日本人の封建主義的エートスの現れなんじゃないでしょうか。

 

 

黙っていても国民は自発的に感染対策をするし、マスクはするしワマルチマルも打つ。こんな「良質」な国民の上には全体主義国家なんてつくれませんし、つくる必要もないでしょう。日本人て、世界支配を企む者にとっては案外最もやっかいな国民なんじゃないかと思います。

 

 

 

 

かなり粗雑な考察をしてみました。突っ込みどころはたくさんあると思いますので、どうぞいじくるなり批判なりをなさってください。