先日、ミッキーのお母さんから
電話がかかってきた。
ミッキーが亡くなった後も
時々電話で話してたけど、
それにしては遅い時間だったので、
電話に出る前に、何か胸が騒いだ。
電話口には、
いつもの声。
ミッキーのお母さんは
パーキンソン病を患っていて、
入院生活がもう10年になる。
ちょうど
ミッキーが亡くなる少し前くらいから
入院生活が続いていた。
それまでは
時々病院へ会いに行ったりもしていたけど、
コ◯ナ以降は面会もできなくなっていた。
「しばらく会ってないけど、
死ぬ前に一目会いたい」
詳しく聞くと、
もう1ヶ月も食事がとれてないらしい。
「だいぶ痩せた。
もう長うないかもしれん」
電話で話す時は、
いつもミッキーの昔話。
もう10年経つのに、
昨日のことのように思い出せる、という。
彼が亡くなって一番辛い時に、
お互いを心の支えにしてきた
戦友のような、
歳の離れた親友のような間柄。
そんなお母さんが、
もう長くないって、
最後に私に会いたいって、
自分で電話をかけてきた。
「わかった。
必ず行くから、待っててね」
「無理は、せんでえいき。
来れたらで」
「うん」
電話を切ってから、すぐに
お母さんの病院へ行く方法を考えた。
お母さんがいる高知の病院まで、
東京から588キロ。
次の休みの日
寝台特急サンライズ瀬戸に乗って
行くことにした。
人気があって普段は滅多に予約が取れないのに、
なぜか、この日だけ空きがあったのだ。
ミッキーが
そうしてくれたのかも。
少し前にYouTubeで
サンライズ号の動画見て
乗ってみたいなーって思ってたから。
サンライズ瀬戸の予約を速攻で済ませ、
帰りは夜行バスを予約。
翌日の夜、仕事終わってから出発した。
サンライズ瀬戸で坂出まで行き、
特急列車で翌朝10時前には高知に到着できる。
そして、その日の夜に、
夜行バスに乗って東京に帰る、
弾丸ツアー。
お母さんの好きな羊羹
買って行ってあげたい。
1ヶ月ご飯食べてないって言ってたけど、
好きなものだったら
食べられるかもしれない。
高知駅近くの羊羹の名店へ行き、
百合羊羹と山桃羊羹をお土産に買った。
ふと店内を見渡すと、、
山桃の花言葉
「ただ1人を愛する」
これって、もしかして、
ミッキーからのメッセージ?
すっかり遠い存在になったような気がしてたけど、
本当は今でも、いつも心はそばにいる。
そう言われた気がした。
てくてく歩いて
お母さんのいる病院に着いた。
お母さんに面会できるのは、
たったの15分だと聞いていた。
でも、ナースさんたちは
私が東京から駆けつけたことを知って、
大目に見てくれた。
お母さんも
私も
涙の再会。
それからいろんな話をした。
これで最後とは
思いたくなかった。
お土産の羊羹
受け取ったナースさんたちの
顔色が変わった。
お母さんの状態を
よく理解していなかった私。
もうお母さんは
固形物を飲み込むことすらできなくなっていた。
胃ろうは嫌だからと
お母さんは拒否していて、
水分しか取れないから
衰弱する一方で。
でもお母さんは
私が買ってきた羊羹は
食べたいと言ってくれた。
でも、
飲み込めないから
誤えん性肺炎を起こして
熱も出て
大事になってしまうから。
私は、「羊羹食べたらいかんよ」と
止めた。
最後には、お母さんは
食べないと約束してくれた。
そして
お別れしてきた。
帰りの時間、
バスを待っていた時、
待合室の外で
ミッキーの妹さんと電話で話した。
お母さんには、
最後に好きなものを食べさせてあげたいと
妹さんは言っていた。
病院では、
もう命が長くないとわかっている人に
最後に好きなものを食べさせてあげるという。
お母さんには、
年が明ける前に
最後の晩餐をするんだと聞いた。
涙が溢れてきて
周りに人もいるのに
泣いてしまった。
電話の向こうの
妹さんも泣いていた。
私はミッキーが亡くなった時、
もっともっと
美味しいもの食べさせてあげたら良かったと
後悔した。
彼が食べたいと言って
私が作ったぜんざい、
「全然甘くない、美味しくない」って
言ってた。
お砂糖はからだに悪いからって。
彼が治ると信じてたから。
でも、それから間もなくして
彼は亡くなった。
だからせめて、
お母さんには、
彼も大好きだった羊羹
食べてもらいたかった。
親子揃って
甘いもの大好きなんだから。
東京に帰ってきて
お母さんから電話があった。
何度も何度も
ありがとうって言ってくれた。
そして、
「また会おうね」と
電話を切った。


