私は九州出身で、このゴールデンウィークまではさいたまの大宮という北への玄関口に住みながら、そこから北上する地縁も持たずに過ごしてきました。恥ずかしいのですが、盛岡と仙台の位置関係すらあやふやでした。
今回ファザーリングジャパン(以下FJ)の有志と一緒に出掛けることがなければ、ボランティアに参加することも無かったと思います。私にとっては、新幹線で数時間のうちに着いてしまう場所ではなく、遠いおとぎの国と大差なかったのです。
このような私が義援金や献血のほかに今回ボランティアとしてお役にたつチャンスは、FJで絵本と歌のライブをするツアーに参加することか、よくある知人が同級生その他のネットワークに呼びかけて支援金と物資の取りまとめを行い、現地の友人に届けるというプロジェクトくらい。会社員なら会社でボランティアもありうるでしょうが、私は勤め人ではありません。
誰が
なぜ
誰を
どのように
支援させていただくものなのか、FJについては理解し賛同出来たから参加したつもりです。
結果。このゴールデンウィークのボランティア経験だけでも、本当に感謝してもしきれないほど素晴らしい心のお土産を頂戴いたしました。
体力の劣る(日頃の不摂生のせいです。申し訳ない!)女性の私を参加させてくれたFJへの感謝の気持ちは当然のこと、一緒にえほんうたのツアーに回った同行のFJのメンバー、現地でお会い出来た方、子どもたち、お会いしたすべての方から、それはそれは大きなものをいただきました。
不謹慎とは思いつつも、楽しかったとしか申し上げられない素敵な経験。思い切ってそう正直に申し上げたら、現地で頑張る方から”そういってくれてありがとう。”と感謝をいただき、とても深い感動を覚えました。
もちろん、楽しいことだけではありません。被災地の言葉を失う惨状。今後の課題。
そして、帰ってきた私には、人生経験豊富なある方から”ゴールデンウィークが終わったらボランティアも軒並み帰ってしまった。”と厳しいご意見や、私の多くの知人が関わった支援プロジェクトには全くお手伝いする余裕がなかった、と少々残念な気持ちも残りました。
ただ、今回の限られた時間とお金の中で、私が一番効率的に、かつ役に立つ形で参加出来たのはFJのボランティア活動だったと確信しています。
精力的な彼らのこと、さっそく次の支援のスケジューリングに入っています。継続的な支援がなにより大切だというのが、FJのスタンスだからです。私も少しでも恩返しに、と、英語読み聞かせのチャリティーライブを企画しています。
支援活動には、やはり高い目的意識とそれを支える倫理観、それに参加する人に対しての説明責任能力がなければ、継続的な活動に育てていくことは出来ません。
まだまだ始まったばかりの復興支援ですが、今後、参加する側も本当に役に立つ支援のためには、主宰する人物や団体についてきちんとチェックする意識が必要になってくるのかな、と感じました。