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BIRDS EYE LOHAS Project

ロハスなコミュニティ誌「BIRDS EYE」を発行しながら、
ロハス志向の人たちとつながって「ロハスコミュニティ」づくりを目指しています。

長い低迷の政治がもうすぐ始まる総選挙で、決着がつくことを願うばかりである。
もう、われわれ国民はせっぱつまっていて、選挙を待ち構えている。

アメリカのブッシュ大統領が8年間つづいて、アメリカがズタズタになったが、ようやくそれに気づいた70%のアメリカ人が、オバマを選んだ。それまでGDPの60%を軍事費につぎ込んで戦争に突き進むことを許してしまったことが、自分たちであった、という思いから、政治を自分たちのものに取りもどしたい、という思いに変わったことが大きかったんではないだろうか。つまり国民一人ひとりがチェンジしたのだ。

われわれ日本も、ブッシュの考えに同調した小泉首相によって、8年間の間にとことん国をだめにした、それを許したのはわれわれだったと言える。
だから、こんどこそ、政治を自分たちの手に取り戻したい。その第一歩として、まじかに迫った総選挙に、自分の石(意思)を投げ入れることが、一番重要である。
ここで、ちょっとネットの世界の情報を紹介したい。

ネットの世界で、今何が起きているか。それは、この8年間で国をだめにした自公政権を辞めさせる、草の根運動である。今の与党の議員を今度の選挙で落とすために選挙に行こう!という呼びかけが、何十万人の人たちによって広げられている。

ここで、ひっかるのは、民主党がいい、という話ではない。民主党に政権交代させて、これまで国民をだまして、自分たちの思いなのままにやってきて、汗水たらしてはたらいて働いて世界で2番目の経済大国にまで押し上げてきた国民を、貧乏のどん底の突き落とすような政治をやってきた政治家や官僚の犯罪的ともいえる行為を暴いてもらいたい、という切なる願いがこめられているという。国民一人ひとりは、政治家が何をしようとも、それをだまって受け入れてくるしかなかった。だけど、今度の選挙は、その政治家の腐敗を断窮できるチャンスがやってきた。

民主党には高邁なヴィジョンなどは期待しないで、ただその悪を抉り出してくれればいい。それが民主党の役目なのだ。その大掃除が終わらないと、次代の志ある政治家がでてきて、日本を再生することはできない。そういったことをまともに議論できるのはネットしかないのが実情なのだ。あなたは、どう思いますか?

持続可能な社会を創った国 「キューバ」 に学ぼう


バーズアイ3月号のコラム「LOHASにスイッチ!」で、吉田太郎さんのキューバレポートの内容を紹介したのですが、それを読んでメールをくれた若者がいました。すぐに会いに行きました。彼は4年前にあの本を読んで、3年後「キューバ」に飛んで、持って行った自転車で町中を回って見てきたことを語ってくれました。そこには、これから「持続可能な地域社会」を考えてゆく「ヒント」がいっぱいあるような気がしてなりません。

今月は、28歳の若さで、地域のNPOに関わっている、松木亮さんのインタビューをお届けします。


「キューバ」を自転車で回って見たこと、体験したこと。

――『200万都市が有機野菜で自給できるわけ―都市農業大国キューバ・レポート』(吉田太郎著)という本を読んで、実際にキューバへ行ってみようと想われたのは、どうしてなんですか?

松木 大学の頃から環境問題には関心があり、卒論のテーマも「クルマに依存せずに公共交通と自転車を活かしたまちづくり」でした。そして、地域の自給率を高めれば、わざわざ遠くで作ったものを運ぶためのエネルギーは要らないし、クルマも道路も駐車場も少なくてすむんじゃないかと思うようになりました。社会人になってからも休みの日には有機野菜のレストランの畑を手伝ったり、農業関連のNPO活動に参加していました。

その頃に出会ったのが吉田太郎さんの『200万都市が~』の本です。「有機野菜、自然エネルギーで自給する都市」という未来図にすごく興味がわいたのです。そこから、「キューバの都市農業」に関するドキュメンタリー映像を作った日本人の監督さんとお会いして話をしたり、他の文献を調べていくうちに、やっぱり実際にこの目で「キューバ」を見ておきたいなと思うようになったのです。

――そうでしたか。はじめて「キューバ」という国に行って見て、どうでした?

松木 キューバの首都ハバナでは一週間滞在しました。カサ・パティクラルという、ホームステイとゲストハウスの中間のような家に泊まったのですが、最初の2日間は、知人のつてで知り合った現地のキューバ人にいくつかの都市農業の現場を案内してもらいました。残りの5日間は、日本から持ち込んだ自転車で、ハバナ市内をあちこち走りまわって、いろいろなものを見たり、現地の人たちの生活に触れたりしました。

そこでは、オルガノポニコ(石やベニヤ板で囲いを作り、そこに堆肥や土を入れて集約的に野菜を作る生産技術)やコンパニオンプランツ、ミミズの養殖など、農薬や化学肥料に頼らなくても生産力を上げる工夫を目の当たりにしました。元ゴミ捨て場だったところやビルの屋上、団地の敷地内、学校の校庭に野菜が元気に育っていました。

団地の真ん中にある共同組合農場では女性も男性もイキイキと働いていて、そこだけで160人もの雇用を生み出しているとのことでした。直売所が併設されているので、地域の住民はここで獲れたての野菜を購入することができます。野菜は地域の小学校の給食やデイケアセンターにも供給されているのです。

この協同組合というシステムや先進的な有機農法を学びに、毎日のように海外から視察が来るそうです。

ハバナにはCTAというコンサルティングショップが地区ごとにあって、家庭菜園やオルガノポニコ、バイオ肥料、コンポスト作りなどの相談にのってくれます。CTAにいる都市農業普及員は家や会社まで出向いてアドバイスもしてくれるそうです。苗や農業資材などもそこで手に入ります。

農園と八百屋とCTAが隣接しているところもいくつか見ました。歩いていける距離に生産の場と市場があって、さらに農に関わることをサポートしてくれる存在も身近にある、この連携が地産地消を支えています。(つづく)

3月号のこのコラムで「危機ををチャンスに変えたキューバ」という、キューバレポート

(吉田太郎著「200万都市が有機農業で自給できるわけ―都市農業大国キューバ・レポート」のことを書かせてもらったら、読者から、沢山のはがきやメールをいただいた。そのメールの中に、松木亮さん(28歳)という方のメールに「キューバ」に行って現地を体験してきた、と書かれていたので、早速出会いに行って、今月のメイン記事に登場してもらった。

これから書いてゆくことも合わせて読んでいただくと、これから日本人がヴィジョンを描いてゆくためのヒントがたくさんあるように思うので書いておきたい。

「キューバ」がなぜ、ロハスな国づくりへの転換ができたのか、その背景にあるものは「教育」だったことがわかった。

それまでの「キューバ」はどんな国だったのだろう。

革命以前の状況は悲惨なものだった。

アメリカの大企業の下でサトウキビの生産労働者として雇われ、仕事が無くなればいつ飢え死にするかわからない。病気が蔓延し、識字率は低い、学校へ行くこともできない子どもたち。黒人たちは差別され生活が苦しいと娘を売らなければならない。一方、都市は欧米人たちのリゾート地として昼夜パーティが繰り広げられていた。

キューバ革命以後

キューバがもっとも力を入れたのは、国民の不平等の解消だった。差別も売春も廃止され、教育と福祉に力が注がれていったという。小学校から大学まで無料で受けられる教育。病院も無料。身体障害者や社会的弱者にも雇用機会が確保され、みんなが安心して生活できる格差のない社会を目指したのです。何十万人の技術者や科学者が育成されたが、たんなる机上のインテリが育つことを避けるため、小・中学校では農業教育が義務付けられ、高校生もボランティアで農作業に従事する制度が設けられ、額に汗を流してモノをつくることの大切さ、働くことへの価値観を発見することを子どもの頃から教えていった。

また有機農業への転換がスムーズにいったもう一つの背景は

研究者や科学者が早くからその必要性に気づいていたことがあげられるという。日本と同じように、過剰な耕作と農薬、化学肥料に頼り、農地は地力を失い、環境問題も深刻だった。耕作地の70%の土地がやせた農地と化し、その深刻な事態をなんとかしようと研究者総動員で有機農業への転換が進められようとしていた。そんな背景があって、1990年、ソ連崩壊で国家的危機が起こった。そして91年、カストロ議長の「非常事態」「食糧問題が最優先」宣言がなされ、この危機を逆手にとって数年の間に、地域資源循環型社会を実現させた。

われわれ市民も、もっと考えてゆかなければならない。

ここで私たち日本人が考えなくてはいけないのは、縄文時代から江戸時代、明治、大正、昭和のつい近年まで、「農業」による自給があって、自立した日本国があったという、この

DNAである。「農」を捨てた頃から日本は自立心を失い、「食」も「経済」も外国依存体質になってしまったのかも知れない。

この間、ある研究者とランチミーティングで意見交換していた時、「農耕民族」である日本人が欧米の「狩猟民族」のライフスタイルを取り入れ出してから、身体も経済活動も国もおかしくなってきた、という話になった。「そう言えば、ご飯よりもパン、野菜より肉、畳よりベッド、というのが当たり前になっているね」「そうなんだよ、昔はご飯と梅干、のりと味噌汁で十分体力があったんだ、それが肉を食べないとどうも力がでない、と思ってしまうんだよね」「車の生活で、歩かなくなって、仕事が終わってジムに通って汗を流していると健康になったような気がしてくるし」「会社でも狩猟型マーケティングがまかり通ってきたけど、やっぱり農耕型マーケティングの方が日本人のビジネスには合ってると思う」「21世紀の農耕型ビジネス、農耕型生活スタイルってどんなんだろう。もっと研究しないとね」「いや、われわれのDNAに刷り込まれているから大丈夫、あとは工夫だけさ」

こんなやりとりをしながらランチしていた二人だが、食べているものは、スパゲッティとパンだった。それに気がついて、思わず二人とも苦笑してしまった。