女子高生のスカートの丈は
平成に入ってから今日まで、
短いのがほぼ主流になっている。
この傾向は変わりそうにない。

制服のスカートは
もともと
ひざくらいまでの長さなのを
腰周りを
わざわざ丸めて短くしているのだ。

そこまで短くしたいなら
最初から短めのスカートを
作ればいいものを、
そうやらないのは
教育上よろしくないという
暗黙の空気があるからだろうか。

我々が高校生だった
昭和49〜50年代は、
すなわち
1970年代中頃から後半にかけては
真面目な女子高生のスカートの丈が
ひざくらい。
不良になればなるほど
逆に丈が長くなったものだった。

むしろ、当時は

ミニスカートというと、

古い60年代ファッションという感じで

ダサかった印象である。

丈が長くなって
ほぼ袴に近いほどの域に達すれば
かなりの*ヤンキーだった。
(*ヤンキーなんて言い方も実はなかった)
男子ならツッパリ
女子ならズベ公と言った。

ツッパリ連中は、
かわいい女の子のことを
よく「マブい女」などと言ってた。

この「マブい」というワードも
イマドキの人々にとっては
古文の「いとをかし」くらい
意味不明な死語なのであろう。

そういえばこの時代は
「マジ」なんて言葉も、
まだなかったな。



ガストのランチは
週5日の日替わりメニューの中で
3日間は

チーズインハンバーグと

何かの組合せである。


私は
チーズもハンバーグも好きだが
チーズインハンバーグは嫌いだ。

ハンバーグを切った時に
ドロっとこぼれる

あの溶けたチーズが気持ち悪い。
おまけに食べづらい。

できればチーズは
ハンバーグの上に乗せて欲しい。

ハンバーグの上で溶けている分には

構わない。

あと、

おかわり自由のランチスープ。
これが

なかなかクセモノなんである。

本日は、
たまごとワカメのスープだった。
セルフでオタマですくうが、
ワカメがどうしても逃げる。
ワカメをすくうのは
金魚すくい並みに難しい。

まあ、これも
ガストの計算のうちなのだろうが。

そうやすやすと
客にスープの具材をすくわれては
食材費が相当変わってくる。

だからこそ
よく逃げるワカメにしているに
違いない。


敵ながら?

あっぱれである。


9月になったとはいえ
まだまだ蒸し暑い。


待合せまで、
たったの30分だが、
外にいるのは耐えられない。
駅前に
コーヒー屋を見つけ、
ラッキーとばかり入る。

いつも
アイスコーヒーには
ミルクのみでシロップは入れないが、
今日のアイスコーヒーは妙に苦い。
思わず、途中で
ガムシロップを足してしまった。

この店のストローは
プラスチックだった。

よしよし、その調子。

SDGsみたいな
エセ環境主義にかぶれた
紙ストローの店には
なんだかムカつく。

だいたい
紙ストローは濡れると気持ち悪い。
エコの仮面を被った
共産主義の"ニオイ“が鼻につく。

ガムシロップを足したけど
それでも苦かった。




ウチの事務所近くの、

最近までアパートと戸建てがあったが

解体されて更地になった土地がある。

売りに出ているが、

もうすでに雑草がボーボーだ。

雑草の生命力はすごい。

昭和の頃は、

こういう空地があると、

大抵、近所の子供達が

野球をして遊んでいたものだ。

そして

打ったボールが

民家の窓ガラスを直撃して

割ってしまい、

その度に謝りに行っては

怒られるという光景は定番だった。

今だったら、

空地とはいえ、

所有者がいるし

立入禁止が普通であり、

そんなところで野球なんかしようものなら

通報されるだろう。

ましてや打ったボールが

民家の窓ガラスを直撃し破損したら、

訴訟に発展するのだろう。

 

空地で子供達が野球をしている光景など

遠い昔の伝説となった。



久々に吉野家に入ってみた。

昭和の頃の吉野家は、
メニューが牛丼一択で
選択肢は並か大盛のみ。
オプションは味噌汁のみ。

………ん?

お新香もあったかな?


注文する客も
「並。」

または、
「大盛。」と言えばよかった。
店員も威勢よく、
「ヘイ!並一丁、大盛一丁!」と
声を上げれば、厨房が盛る。

注文伝票もなかった。
おあいそは、
空の丼を店員が確認して
並350円、大盛450円
という具合に払った。

今の吉野家は変わった。
おとなしめの店員が注文取りに来る。
打った伝票と共に
牛丼が
トレーに乗って運ばれてくる。

今の吉野家は、

カレーだの、定食だの、
メニューの種類がハンパない。
値段も、
税別価格の下に
カッコで税込価格が表示してある。
しかも
本体価格も税込価格も
値段が1円単位になっている。
わかりづらいメニューのビジュアルで
あまり入る気がしなくなる。

支払いするとクーポン券をくれる。
これがまた
そんなに購買意欲をそそらない。

吉野家もなんだか
軟弱になっちゃったな。

昭和の頃の
あの威勢のよかった
牛丼一択の吉野家が懐かしい。

 

 

しがらみがない総理が誕生したら

いちばん困るから、

財務省、メディア、自民党が無視する。

 

でも、

国民的には

まさに総理に相応しいんだがなあ。

 

そういう人は選ばれてはいけないという

妙な慣習が浮き彫りになっているのでは?

 

国民が一番やってほしいことを

こうもハッキリ言ったらダメなの?

この国は。

 

 

 




セリフという漢字には2種類ある。

科白と台詞である。

「台詞」は言葉だけのものを言い、
「科白」は、
それに仕草(しぐさ)が加わったものを
言うらしい。

本を読んでいて、
その全体の内容とは関係なく、
たまたま出てきた「科白」という
単語に引っかかり、
そういえば、セリフには
科白と台詞があったよなあ。
どう違うんだろう?
などと邪念的な疑問が湧き、
それを解決しないと
妙に気が済まなくなった。
そんなことを調べていくうちに
読んでいた本の内容など
どこかに飛んでしまうのであった。

昔、
東大進学率全国トップの名門
兵庫県の灘高校に、
橋本武という名物国語教師がいた。

その先生は、
昭和9年頃から30数年間の在任中、
授業の教科書には
中勘助の「銀の匙」という
古いエッセイ本1冊だけを3年間用いた。

そんなに厚い本ではない。
おそらく数行読んでは
そこに出てきた単語なり話題から
脱線したり、
生徒に考えさせたり、
議論させたり、
時には校庭に出て遊ばせたりという
授業をしたのだと思われる。

高校3年かけて
「銀の匙」一冊を読み込む。
これがまた
ヘタな教科書を使うより
絶大なる学習効果を生んだという。

神奈川県の黒岩知事も
灘高校で
橋本武先生の授業を受けた1人なんだそうだ。

そう考えると、
遅読も捨てたもんではない。

 

Act Against AIDS'99 桑田佳祐「エリッククラプトソ横浜公演」より

 

1999年12月1日

 

Badge

Sunshine Of Your Love 

Little Wing

Get Ready

I Shot The Sheriff

Crossroads

 

演者

桑田佳祐:Vocal, Guitar

斎藤 誠:Guitar

小倉博和:Guitar 

美久月千晴:Bass 

鎌田 清:Drum

片山敦夫:Keybord

深町 栄:Keybord

三沢またろう:Percussions

清水美恵:Chorus

安奈陽子:Chorus

 

さすが。

ウマいね。

 

誰でも知ってる(?)クラプトンのナンバーを

他の人のカバーで聴くと

また新鮮な味わいがあるもんだなあ。