ゆうべは「笑ゥせぇるすまん(旧作)」を観ながら、アサヒの「黒」生で安孫子先生に献杯…。
「笑ゥせぇるすまんNEW」の方の主題歌ですが、好きなんですよねこの曲。エンディングの、高田純次の曲も相当いいんですけど。
彼女、結構ラップ調というか歌詞をみっちり入れる曲が多い気がします。でもポップだしこの曲とか毒もありますしね…。この曲タイトルも「ドーン!」みたいになってますが、アニメ用に作られたのでしょうか、たまたまなのでしょうか。歌詞もちょっと大人の「よくないところ」みたいなのが並んでますよね。でも大人としては「日々生活するのも大変だし、これくらいいいよね」っていう気持ちもあるんじゃないかってね。
でもそれ、子供に誇れますかって言ったらそうじゃないよね。
って内容…耳が痛い!
逆に見れば、大人の皆さん毎日おつかれさまです、的な曲にも思えますが…でもやっぱ厳しい(笑)。
忙しさに押されちゃうってこと、わかりますけどね。ゆうべ改めて旧作の「笑ゥせぇるすまん」を観て、子供の頃とだいぶ異なる感想を抱きました。
子供の頃は、TBSの「ギミア・ぶれいく」の中でアニメが放送されてたんですよね。
割と夜遅めだったと思いますが(22時台?)、なんかわかりませんがいつも観てました。
「どうせ自分なんて」となっている主人公?ターゲット?が多いですよね。それでコンプレックスや悩みを払拭しますと喪黒福造が現れる。
喪黒さんの助けは永遠ではなかったり、この手を使い過ぎるといけませんよとの忠告を無視したり、すると各話の主人公(とその周辺の人々)は救われない状況になる。
寓話ともとれますが、人間の業みたいなものを肯定してくれてるようにも思えます。まあ肯定つっても本人救われてないけど。だから肯定ではないか。
結局、なにかのお陰で成功したり悩みがなくなったりしても、その「何か」が自分の外にあるものであるうちは完全に克服したとは言えないんですよね。
外的要素は時限的だったり、状況により変わりますんで。
喪黒さんの手はきっかけであって、最後は自分でやらなきゃなんですよね。あーほんと耳が痛い!(笑)
安孫子先生は、サラリーマンと自由業の間をいくような感覚のまんが家だと思います。藤本先生はサラリーマン無理そうですけど。
そんなバランス感覚で描くブラックユーモアが、いつまでも愛されるのはなんだかわかる気がします。