今日は海外から講師を招いて、コンプライアンス研修でした。


FCPA(Foreign Corrupt Practices Act)や、Bribeに関して、ビジネスを行う上で守るべきことを3時間かけて研修しました。


このような研修を受けるたびに思うことですが、人間が全て性善説に沿って仕事をしていればわざわざコンプライアンス研修の時間を割く必要はないのかなと思うのです。


会社という団体はいろんなバックグランウドを持った人たちの集まりなので、必ずしも前提が一緒ではない。よって、どのようなルールの中でビジネスを進めていくのかは認識を統一する必要があります。そのため、やってはいけないことを明確に規定しておく。そしてそれを違反したら、それなりの処置を行いますということを予め決めておく。


会社にとっては、会社という組織を守るためには必要なことです。でも、善悪の判断が出来て、志が同じような人が集まっていれば、敢えてこのようなことを就業時間を使ってする必要はないのかなと思うのです。


仕事ということを考えると、倫理や道徳に反しても利益を得ることを第一に考える人もいます。そうなると、仕事観の議論にあるのかもしれません。


人生の中で達成出来る仕事は限られています。そんな数少ないチャンスを、利益だけを考え仕事をするのか、それとも、倫理を持って利益を多少諦めてもまっとうな仕事をするのか。利益と倫理の両方を兼ねそろえた仕事を追及していくのか。自分が置かれた状況によって重きを置くところも変化してくると思いますが、常に考えて仕事をしなければと思います。


僕は人間というものは性善説に立って生きていると信じています。


そうすれば、


コンプライアンス-性善説=性悪説


というような式が成り立たないであってほしいと思います。


せめて、


性悪説-性善説=コンプライアンス


というように、性善説では補えない部分だけをコンプライアンスとして意識するような健全な社会であってほしいと願います。そうれば、コンプライアンスの部分がになったり、マイナスになることもあるのかなぁ?ちょっと甘い考えかもしれませんが。。。