さてベイルート…
皆さんはどんなイメージを
お持ちですか?

最近ではレバノン人である
カルロス・ゴーンかも知れませんが…

私は昭和38年頃の
TVのクイズ番組を思い出します

それは東京五輪を翌年に控え
ギリシャのアテネから日本に聖火を運ぶ
すごろくゲーむみたいなものでした 

そこにカイロ、ベイルート、バクダット、
テヘラン、ラホール、など
後に戦禍にまみれた都市も
たくさん出てきました
当時は平和だったのでしょう…

その時に知ったベイルートという名前を
私はなぜか忘れることができませんでした

その後会社に入り
以前はベイルートには商社がこぞって軒を連ね
中東の重要な拠点だったと 
先輩から聞かされていました 

その先輩は当時商社マンとして
ベイルートに駐在することが
憧れだ…とも言っていました 

しかしその時はすでにベイルートの内戦が
始まっていたので 
私にはとても信じられませんでした

今ではその内戦は終結したものの 
イスラエルとヒズボラの衝突は
現在でも頻繁に起こっています 

私の出発の日にもありました

ベイルートは1970年代の華やかしき頃
「中東のパリ」と呼ばれていました
 
今戦禍を受けた街が
その復活を目指して
再開発が進んでいるようです
こんなイメージです




泊まるホテルは
ベイルートの中心部にあり
街歩きがゆっくりできそうです

しかし 多すぎる車は
人の前でも絶対に止まってくれませんので
十分注意して 歩きたいと思います

まず海岸を目指します
ホテルからベイルートの目抜き通り
ハムラ通りを西に30分ほど歩くと
突然海岸段丘の上に出ます

当地で有名な 鳩の岩 と呼ばれる
岩が眼前に見えてきます


海岸沿いにはお洒落なカフェも
立ち並びます


その海岸の背後には
高層マンションがあって
ちょつとしたリゾートの感じがします

ゴーンもこのあたりに
家をいくつか持っているのでしょうか

知らんけど…


潮風にしばしあたり
またハムラ地区に戻ります

たしかに他の中東地区に比べれば
少しは洗練されているような気がします
アンマン、カイロ、エルサレム…


中東のパリと呼ばれる 面影はありそうです


ここに パリがありました


街の真ん中に大きな壁画がありました
ベイルートにはこのような壁にかかれた
絵画が多いそうです


翌朝ホテルから東に進み
30分ほど歩くと 旧市街の象徴
ムハマンド・アミーン・モスクが遠望できます


ただこの場所まで行くのに
途中マシンガンを持った兵士に
この通りは歩いてはいけないとか
写真を撮るなとか…
結構うるさく目をつけられました

この地区は政府関連の役所が多いのか…
至るところに…
このようなバリケードがあります


この建物を隠れて怖々撮ったのですが
建物に銃弾の跡が生々しく残っています

そういえば 我が母校にも戦時中の銃弾跡が
今でも残されています


この何階建かわからないビルの廃墟…

このビルの周りを 兵士が取り囲んで
バリケードを組んで警備していました
 
こんな廃墟ビルに何があるのでしょうか?


そういえば外務省の海外安全情報に
ベイルート市内でも
行ってはいけない場所があったような気がします

日本人は
ベイルートは危ないところだという
イメージを持っています

確かにベイルートはいまだ
いつテロが起きてもおかしくない状態と
言われていますが
市民や街の様子を見ていると 
表面上そんな不安を抱えているとは思えません

平和を希求するのはどの国民も同じ

でもこの地ではいまだ戦禍の不安に
直面している人たちが
懸命に平和であることを祈るのは 

我々平和ボケしている日本人より
はるかに強いものだと思います

(続く)