次女さんを思い出させない母まーちゃん
先週水曜日の事。
一昨日の記事の続きです。
母まーちゃんが実の姉妹の事を思い出さない。
私は姉夫妻の名前や
姉夫婦の子供4名の名前を言ってみた。
思い出せない母まーちゃん。
私が生まれた時には既に他界した第一子のことも
聞いて知っている事を話してみた。
第一子は姉夫妻が働くために
母まーちゃんと私の祖母がずっと預かって育てていたと聞いていた。
母まーちゃんはその子を随分可愛がっていたと聞いていた。
「しずえっていう子を預かって育てていたんでしょ?」
全く記憶に無いようだ・・・。
何歳か忘れたけれど
亡くなってしまったと聞いていた。
その後 2男2女4人の子供が生まれた。
姉夫妻は、工業用ミシンで洋裁をしていた。
県庁所在地の市、◇◇小学校の近くに住んでいた。
祖母は 春のお祭りの日は毎年姉の家に出かけて行った。
そんな話をしたが
『知らん』
『分からん』
私が看護学生1年生の秋に病気で他界した母の姉。
40年経つと実の姉の記憶も引き出せない・・・。
消えているか・・・。
妹の名前も言ってみた。
妹の旦那や息子の名前。
全く思い出せない母まーちゃんだった。
妹はまだ存命ですけど・・・。
妹の旦那には金銭問題でかなり苦労をさせられた母まーちゃんと父。
戦争で県庁所在地に住んでいた母まーちゃん家族は空襲の中を疎開した。
空襲の中 逃げた時の様子を
私の聞いていた記憶を話した。
先週の記事にも書いたけど
母まーちゃんは歳が離れた妹を背負って空襲の中を逃げた。
刑務所の塀の掘りに伏せた。
空襲が去った時
隣で伏せた見知らぬ女性は被弾して亡くなっていた・・・。
その話をしたら
次第に空襲の時に
妹を背中におぶって逃げたことは思い出せた母まーちゃんでした。
しかし、妹の名前を伝えても思い出せなくなっていた・・・。
空襲の中を妹を背負って逃げた事実だけ・・・。
トラウマ的な内容は
記憶してある場所が違うのだろうか???
つづく。
<昨年の明野のひまわり>
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