好きだった作家の言葉が入ってこなくなった | 闇を愛するアラフィフニート主婦の日常

闇を愛するアラフィフニート主婦の日常

旦那と2010年生まれの息子と暮らしてます。
2013年にパート勤めを辞めて以来
「さして働かず、さして家事せず、さして子育てせず」をモットーに
不謹慎でネガティブな日々を送っています。

BGMは、変わらず進撃のサントラです。

 

小説がどーたら、とほざきだして、すでに1年経過w

 

最近は、わしが高校生くらいから好きだった作家さんの本を乱読してるのですが

なぜだか引っかかる箇所が無数にあり、わしの中に入ってこなくなった。

困る。どうしよう、何らか書き方の指針にしたいくらいの人だったのに(;´Д`)

 

その人の本を全部読破してるわけではなく

特に最近のものは、あまり読んでいなかったのですが

最近のものに関しては特に、その傾向が顕著でした。

 

作品を読んで「え?え?」と引っかかり

エッセイを読んで、さらに引っかかりまくりました。

 

その人は、わしが好きで読んでるくらいだから

命のきらめきとか、どうしようもない時でも進まなきゃいけない人生の深みとかを

わし好みの言葉のチョイスで、丁寧に繊細に書いてくれる作風の方なのですが

作品やエッセイで引っかかった箇所の理由を、雑にまとめると

 

「あ、この人、深みのあることたくさん書いてくれてはいるけど

結局闇好きではないんだな」

 

という感じのような気がします。

 

闇に対する方向性が、わしと違うんだろうな。という。

闇を、自分がきれいなままでいようとする対比としては、使わないことはないけど

闇そのものを愛でてるわけではないのだな、みたいな感じ。

 

うまく言えないーーーw

 

もちろん、闇落ちする場面も、いっぱい出てくるのですが

そこから引き揚げてくれるのは、やっぱり一筋の光だったりで

闇そのものの輝きではなかったりするのです。

 

一度闇にまみれて、のたうち回って、闇そのものの輝きを見つけるテーマではなく

闇に飲まれそうになって、でも光を感じさせる出来事があって

ほんのちょっとのタイミングで、飲まれきらずに済んだ、というような救済を描いてる気がします。

 

わしの言葉で伝えると、かなりニュアンスが変わってしまうのですが

作品を読んで、若干モヤりはじめ

はっきりと「え?」と思ったのが、エッセイの一節です。

 

そこには

 

「人が幸せになるために、それぞれどのようなことと向き合い、どのようなコツがあるかを観察して伝えるのが自分は得意で

そういう自分の産み出したものが、少しでも相手を照らせる存在になればいい」

 

みたいなことが書いてあって

 

一見いい話でしょ?別に何の引っかかりもないですよねw

 

でもわしは「なんかスタンスが違うと思ってたのは、これだったのかー!」と

違和感の理由を妙に納得させられたんですよね。

 

ぶっちゃけ傲慢に感じたんです。

そのあたりのニュアンスを、これまたうまく言えないw

 

そのあと、別のエッセイを読み進めて

違和感はどんどん決定的になっていきました。

 

作者は、今の時代の閉塞感を嘆くネタを、しばしば書くのですが

その相手は通りすがりの人だったり、たまたま入ったお店だったりで

そういう場での交流を通して、ざっくり言うなら「あたたかみをもって他人と接する人が少ない」ということに嘆いてる風でした。

そしてそれを、割と時代のせいにしてました。

 

その「あたたかみネタ」については

すこし前に書かれたエッセイではあるものの

「いやそれは、お店やその人に対して、ずいぶん厚かましくないか?」

と、このわしがそんな風に思えるような内容までありました。

 

でも作者は、それを自分の至らなさのせいにするのではなく

相手の度量の狭さをつつき

果ては「何となく雰囲気で、人脈の広そうな客と分かるはずだが、この接客で今後来るかもしれなかった見込み客を、この人は逃している」

的なことをお店の人に対して感じた、というようなことが書いてありました。

 

すすすすごい。ある意味闇だw

好みの闇ではないけどもww

 

んで「生きづらい世の中だなぁ」とか「時代が~」みたいなことを

クウネルとかリンネル風に、ふわっと語っているのです。

こここここわい。

 

もちろん文章力は、わしがかなうレベルではないので

その辺りのことも、とても読みやすく、悪口として書かれているのではないので

わしのようにねじくれて読む人は、きっと少ないでしょう。

そしてわしも、20年くらい前だったら

この内容に引っかかりもしなかったかもしれんです。

 

ひとつ、時代に関して言うなら

作者はわしよりも年上なのですが

今自分が生きづらいと思ってるこの時代は

作り上げることに自分も加担した時代です。

 

時代って言うのは、時間の積み重ねで

成人してとっくに30年近く経っているなら

今の時代を作っているのは間違いなく自分自身でもあります。

 

そこを嘆いてどうするんだ、と

時代を嘆く人を見るたび毎回思う。

 

そんな感じで、時代も変わるし人も変わります。

わしもこの人の作品を読み始めた高校生ではないし

この人も、当時から30年も年を重ねた、当時のその人ではないのです。

 

互いの成長度合いや方向性が、時間とともに変わって

分かり合えなさから離れて行くのは

長年の友人と切れていく感じがあって、切ない。

切ないけど、自分や相手の成長も感じられる事象でもある。

 

その人の文章は、その人らしさ満載のオリジナルで

気持ちのいい音楽を聴いてるみたいに、ずっと読んでいたい中毒性もある。

 

わしが、何らか違和感を覚えたとて

それが、わしの持ちえたスタンスと、根本的に違うものだったとて

作者の文章の魅力が色あせるわけではまったくない。

 

小説創作の、何らかとっかかりにしたいという下心満載で

その人の作品に、わーっと触れたかったんだが

結局、書くスタンスとか世界観まで、都合よくパクれるもんじゃないのだな、と

至極当たり前のことに、違和感を通して気付けた。

 

でもやっぱり、その人の作品は、いくつも好きなままで、わしの中に沈んでいて

何らかのエクササイズや気分転換や慰めが欲しい時に

やっぱり今後も、ちょいちょい手に取ってしまうのだと思う。

 

わしも結局、その人に

ちょっとくらいは照らされてる存在で、たぶん在り続けるんだろうな!