わたしたちが生まれていちばん最初に受けるモラハラ、それは親からだと思う。
社会でいちばん初めにする理不尽な思い。
それが、家庭内という場所だと思う。
まぎれもなく、家庭は人が最初に経験する社会。
ゆえに、コロナ禍のステイホームなんて今考えてもゾッとする話だ。
実際、ダメスティックバイオレンスがステイホームによって加速化したケースは、爆発的な数字を示していることで知られている。
ごく希な例をのぞいて、大概の家庭がずっと一緒にいて、うまくいくわけがない。赤の他人より「血が繋がっているから理解できるはず」という、多くはこの思い込みがもたらす苦しみの大きさを、考えたことがあるだろうか。
今、かつての友は40半ばになって初めて、ひとり暮らしをしている。
ことあるごとに、同い年でありつつ何かにつけてマウントをとってくる“後天的ポジティブ”=精神世界の本などをやたら読み、自己啓発によって目覚めたタイプの女性は、もう二度と、後戻りはしないだろう。
だれかと暮らすなど、考えられない。
ところが意外とそういう女性は、多い。
中でも、そうなった経緯としてそれまで束縛傾向の男に縛られていたケースが、高い割合を占める。
この、あるがままの姿で良いことをこの年まで知れないなんて。それもまた、気の毒に思う。
もう人生の半分は、確実に過ぎたではないか。
もちろん、人それぞれのステージで、別々なペースで、人生は運んでゆく。
それにしても誰かのための人生など本当の時間の無駄ではないか?
わたしに友がいない原因として、わたしが思っていることを、助言やアドバイスとしては口に出せないことにある。
そして、ていの良いなぐさめや、その場限りの優しさでもって穏便な空気を崩さない方に導いてしまうのだ。
本当に私が優しければ、口辛く友に助言をするに違いない。例えばその上述の彼女が、頭の狂った彼から逃れられないでいた25年間(婚姻関係には、ない)。
「変だよ」、「おかしくない?」そう言えていたなら。
自身はとことんまで否定するくせに、他人にはやること成す事全て、肯定しかしない。
それも、内心では否定しているのだろうから、よりたちが悪い。
それは仕事にも表れており、わたしは社内で教育をする立場にあるが、必ずや人を怒れない。叱れない。
もちろん昨今の若い世代ーゆとり、を初めとする教育的バックグラウンドに起因するジェネレーションギャップというものも然り。また、会社からきつく定められている「褒める教育論」という、守らされるものが誤った観念に基付いている事を差し引いたとしても。
甘やかすことは逃げである。
自分が嫌われない近道である。だから私はとても、弱者なのだろう。
彼女らは、だれかに縛られることを、日常と思って過ごしていたということである。
会社にしても、新人に辞められたくないからそうした方針をとっているに過ぎない、それは百も承知であるのに。
人は、1人で居るように出来ている。
もちろん、仕事は1人では出来まいが。
プライベートを生きるのは、1人で良い。
連絡をとらなくなった知り合いの1人に、こう言った人もいる。
結婚て、ふわっとしたもの。 憧れ、幻想を抱く。と。
もちろん、聞いた瞬間に強い反感を抱いた。
しかしその時も、のどの奥で言葉をのみ込んだ。
結婚ほど現実で、過酷なものはない。
その知り合いは、サイキックなわりに、職業として自称ヒーラーを名乗るわりに、私の極当り前に残酷な結婚のかたちをも相容れなかった。
そして事あるごとに、否定された。
トラウマになった。
会いたくないと思い、それからも暫くは会っていたが、現在は音信不通だ。
そう。世の中にはこの手も非常に多い。
ヒーリングをやっている人などはまずは自分を癒してくれ、と、そう言いたい。
多くはアダルトチルドレン、大人の発達障害など心理的に、かなり問題のある人しかなっていない気がする。
まともな人。価値観を押し付けない人は、いないのだろうか。
周り中そういった人だらけで、私は両親ではない‘名付け親’なるものに非常に画角の悪い「友」という字を取って付けられたが「友」とつくと友達が出来ないという、昔からの迷信はどうやら本当だったようである。
このことを、友人がいない人は性格が悪い、と言われることもまた、心外である。
昔、宝塚にいった同級生は、たしかに本当に最悪の性格で友達がいなかったのだが。
私は人に害をもたらすまいと、悩みを滅多に口にせず、思いを口にできず自分から身を引いていってしまう癖から友人ができない。
よけいな話も長々書いた。 が、
私はどんな圧力もかけず、子供を育てたい。
子どもを苦しめない親になりたい。
心から願う。